月例会報告

  • 2023年度月例会等

    4月例会

    日 時:2023年4月15日(土)14:00より

    場 所:日本大学文理学部1号館3階131教室

    司 会:塚本 聡(文理学部教授)

    研究発表:

    1.条件文における be to の意味機能について

    岡 麟太郎(博士後期課程3年)

    2.『鐘の音』に見る無知と貧困

    大前 義幸(岩手県立大学宮古短期大学部准教授)

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    5月イギリス文学シンポジウム

    日 時:2023年5月20日(土)14:00より
    会 場:文理学部3号館3階 3308教室

    テーマ:戦争とシェイクスピア
    コーディネーター:松⼭ 博樹(法学部准教授)

    発 表:
    1.『ヘンリー六世第三部』と戦争
    亦部 美希(⽂理学部講師)

    2.『リチャード三世』と戦争
    松⼭ 博樹(法学部准教授)

    3.『オセロー』と戦争
    堤 裕美⼦(佐野⽇本⼤学短期⼤学准教授)

    ※梗概はこちら

    2023年度月例会

  • 2022年度月例会等

    4月例会

    日 時:2022年4月16日(土)14:00より

    場 所:文理学部3号館3階 3308教室

    司 会:秋山 孝信(経済学部教授)

    研究発表:

    1.be about toの意志性に関する一考察

    岡 麟太郎(博士後期課程2年)

    2.Elizabeth Palmer Peabodyの東洋思想の受容と言語観

    加納(内堀) 奈保子(危機管理学部准教授)

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    6月アメリカ文学シンポジウム

    日 時:2022年6月18日(土)14:00より

    場 所:文理学部1号館3階 131教室

    テーマ:さまよえるアメリカ人たち

    コーディネーター:鈴木 孝(理工学部教授)

    発 表:

    1.ホイットマンはなぜ「都市」をさまようのか

    一瀨 厚一(文理学部講師)

    2.孤独な遊歩者の夢想~E. A. ポーの「群衆の人」を読む~

    堀切 大史(文理学部准教授)

    3.漂流するハック

    鈴木 孝(理工学部教授)

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    10月英語学シンポジウム

    日 時:2022年10月22日(土)14:00より

    場 所:文理学部本館2階 会議室A・B

    テーマ:「英語の表し方・日本語の表し方」

    コーディネーター:一條 祐哉(文理学部准教授)

    発 表:

    1.日英語の未来表現をめぐって— “will be -ing” と「ことになる」—

    佐藤 健児(法学部専任講師)

    2.当為を表すSHOULDとHAD BETTERの使用域:その訳語をめぐって

    小澤 賢司(通信教育部准教授)

    3.英語の絵本で見る移動文と場所句倒置文

    一條 祐哉(文理学部准教授)

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    11月例会

    例会を以下の日程で開催いたします。

    日 時:2022年11月26日(土)14:00より

    場 所:文理学部3号館3階 3308教室

    司 会:閑田 朋子(文理学部教授)

    発 表:

    1. EEBOに見る初期近代英語期における 進行形の意味論的発達

    田中 智己(文理学部講師)

    2. George Merdith作The Shaving of Shagpat: An Arabian Entertaiment (1856)

    における英雄的女性像

    金子 千香(工学部専任講師)

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    2022年度 学術研究発表会・総会

    日本大学英文学会2022年度 学術研究発表会・総会を以下の通り開催いたします。

    日 時:12月10日(土)13:30より
    場 所:文理学部3号館4階3405教室
        ※懇親会は中止といたします。

    2022年度学術研究発表会・総会プログラムはこちら

    梗概はこちら

    2022年度月例会

  • 2021年度月例会等

    4月例会

    中止

     

    5月例会

    中止

     

    6月例会

    日 時:6月19日(土)

    場 所:ZOOM開催

    司 会:黒滝 真理子(法学部教授)

    研究発表:

    1.The Evil in Doré’s Illustrations of Paradise Lost

    天海 希菜(博士後期課程3年)

    2.近代英語の進行形の意味と機能

    田中 智己(文理学部講師)

     

    10月シンポジウム

    中止

     

    11月例会

    日 時:11月27日(土)

    場 所:ZOOM開催

    司 会:高橋 利明(文理学部教授)

    研究発表:

    1.知覚・使役動詞補文の共通性—右方移動・左方移動の観点から—

    村岡 宗一郎(博士後期課程3年)

    2.フォークナーの「エリー」に見る、家父長制社会への無謀な挑戦

    和泉 周子(文理学部講師)

     

    1月例会

    中止

     

     

    2021年度月例会

  • 2020年度月例会等

    4月例会

    中止

     

    6月例会

    中止

     

    11月例会

    中止

     

    1月例会

    日 時:1月23日

    場 所:ZOOM開催

    司 会:前島 洋平(文理学部准教授)

    研究発表:

    1.髙坂 徳子

    E.M.フォスター作「「ウラコット博士」における戦争と病」

    2.小川 佳奈(文理学部講師)

    The idea ‘house’ for female characters in Kate Chopin’s The Awakening and Sandra Cisneros’s The House on mango Street

    2020年度月例会

  • 2019年度月例会

    4月例会

    日 時:4月3日(土)14:00より

    場 所:文理学部3号館2階3204教室

    司 会 チルトン マイルズ(文理学部教授)

    研究発表:

    1.The idea of ‘house’ for female characters in Kate Chopin’s The Awakening and Sandra Cisneros’s The House on Mango Street
    秦 珠々菜(博士後期課程2年)

    2.Another Look at Wanna-Construction: Evidence from Language Acquisition
    田中 竹史(スポーツ科学部准教授)

     

    5月例会

    日 時:5月11日(土)14:00より
    場 所:日本大学文理学部 3号館3階3304教室

    司会:飯田 啓治朗(文理学部教授)

    研究発表:1.レインコートとカナリア色のシャツ:E. M. フォースター作
    「アーサー・ス  ナッチフォールド」における衣服について

    高坂 徳子(博士後期課程3年)

         2.古英語期においてpleaseの意味を共有した動詞について
    斎藤 雄介(文理学部講師)

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    6月例会

    日 時:6月8日(土)14:00より
    場 所:日本大学文理学部 3号館3階3303教室

    司会:吉良 文孝(文理学部教授)

    研究発表:1.go(行く)とcome(来る)の言語学ー認知言語学的主体性からの一考察ー

    水口 俊介(日大中学・高等学校教諭)

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    11月例会

    日 時:11月30日(土)14:00より
    場 所:文理学部3号館3階3304教室

    司 会 新井 英夫(松山大学法学部教授)

    研究発表:

    1.初期近代英語における進行形の発達
    田中 智己(博士後期課程2年)

    2.Ulysses(1922)第7挿話 “Aeolus”の「見出し」について
    猪野 恵也(通信教育部准教授)

     

    1月例会

    日 時:1月25日(土)14:00より
    会 場:日本大学文理学部3号館3階3304教室

    司会:保坂 道雄(文理学部教授)

    研究発表
    1. 「Milton’s Political and Poetical Fairness」天海 希菜(博士後期課程1年)
    2. 「知覚・使役動詞補文における共通性
    ―フェイズ理論と補文内部における束縛現象の観点から―」村岡宗一郎(博士後期課程1年)

    2019年度月例会

  • 2018年度月例会

    4月例会

    日  時:2018年4月14日(土)14時~
    場  所:文理学部3号館3階3504教室
    司  会:吉良 文孝(文理学部教授)
    研究発表:

    1.知覚・使役動詞補文内部の準動詞とそのアスペクト特性について

    日本大学人文学研究所研究協力員 村岡宗一郎

    2.Le Morte d’ArthurにおけるMerlinの役割

    博士後期課程3年 小川 佳奈

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    5月例会

    日  時:2018年5月12日(土)14時~
    場  所:文理学部3号館3階3304教室
    司  会:飯田 啓治朗(文理学部教授)
    研究発表:

    1.中英語期におけるplease―Penn-Helsinki Parsed Corpus of Middle English Second editionを資料として―

    文理学部講師 齊藤 雄介

    2.『闘技士サムソン』におけるデリラの考察

    松山大学特任准教授 野村   宗央

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    6月例会

    日  時:2018年6月30日(土)午後2時より
    場  所:文理学部図書館3階 オーバル・ホール
    司  会:杉本 久美子(東北女子大学准教授)
    研究発表:E.M. フォースター作「パンの神のお通り」における「病」について

    博士後期課程2年 髙坂 徳子

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    特別講演会

    日  時:2018年6月30日(土)午後3時より
    場  所:文理学部図書館3階 オーバル・ホール
    司  会:高橋 利明(文理学部教授)
    演  題:イギリス絵画の長い影 ――メルヴィルと漱石におよぶ危機の感覚

    日本メルヴィル学会会長 牧野 有通

    梗概はこちら

    9月イギリス文学シンポジウム

    日  時:2018年9月22日(土)14時~
    場  所:文理学部本館地下 センターホール
    テ  ー  マ:過渡期の時代の作家たちーその芸術観を探る
    コーディネーター:杉本 宏昭(国際関係学部准教授)
    発  題  :

    1.ハーディは真実を描けるのか

    国際関係学部准教授 杉本 宏昭

    2.フォースターの館 ―時代から生まれ、時代を超えたもの―

    東北女子大学准教授 杉本 久美子

    3.「ひび割れ鏡」としての芸術 ―『ユリシーズ』再考―

    法学部専任講師 松山 博樹

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    10月英語教育シンポジウム

    日  時:2018年10月13日(土)14時~
    場  所:文理学部図書館3階オーバル・ホール
    テ  ー  マ:中学校,高等学校,大学におけるアクティブラーニングの理論と実践
    コーディネーター:隅田 朗彦(文理学部教授)
    発  題  者:

    1.アクティブラーニングとは:注目の背景と大学での実践梗概

    文理学部教授 隅田 朗彦

    2.自律学習者を育成するためのタスクデザインと実践梗概

    文理学部助手 島本 慎一朗

    3.『学び合い』で実践する 英語アクティブ・ラーニング梗概

    横浜翠陵中学・高等学校教諭 江村 直人

    11月例会

    日  時:2018年11月17日(土)14時~
    場  所:文理学部3号館3階3306教室
    司  会:佐藤 秀一(佐野日本大学短期大学名誉教授)
    研究発表:

    1.進行形の通時的発達

    博士後期課程1年 田中 智己

    2.映画『若草物語』におけるヒロイン像の比較考察

    文理学部講師  佐藤 万里世

    梗概はこちら

    1月例会

    日  時:2018年1月19日(土)14時~
    場  所:文理学部 3号館3階3304教室
    司  会:保坂道雄(文理学部教授)
    研究発表:

    1.Reducing Categories for Labeling from a Chain Notation

    文理学部講師 賀美 真之介

    2.Scenes of Clerical Lifeにおいて自然世界の表象が示す曖昧なイメージ
    ージョージ・エリオットのリアリズムの萌芽期ー

    文理学部講師 堀 紳介

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    2018年度月例会

  • 2017年度月例会

    4月例会

    日  時:2017年4月15日(土)14時~
    場  所:文理学部3号館5階3509教室
    司  会:一條祐哉(文理学部准教授)
    研究発表:1.get startedについての一考察

    博士後期課程2年 佐藤 英聖

    The Heart of MidlothianにみられるMilton的法概念

    博士後期課程2年 村松 瞳子

    梗概はこちら

     

    5月例会

    日  時:2017年5月13日(土)14時~
    場  所:文理学部3号館5階 3504教室
    司  会:堀切大史(文理学部准教授)
    研究発表:1.A Diachronic Study on the Complements of the Causative Verb MAKE

    日大習志野高等学校講師 村岡宗一郎

    エマソンの「一人の紳士」とホワイトヘッドの「永遠の客体」

    博士後期課程3年 一瀨 厚一

    梗概はこちら

     

    6月例会

    日  時:2017年6月10日(土)14時~
    場  所:文理学部図書館棟3階 オーバル・ホール
    司  会:保坂道雄(文理学部教授)
    研究発表:四福音書における属格の用法

    概要はこちら

    文理学部講師 今滝 暢子

    特別講演会

    日  時:2017年6月10日(土)15時~17時
    場  所:文理学部図書館棟3階オーバル・ホール
    司  会:吉良文孝(文理学部教授)
    演  題:英語をあなどるな ことばにとことん向き合う
    ―――たのしい文学 おもしろい語学―――

    概要はこちら

    筑波大学名誉教授 安井 泉

    9月アメリカ文学シンポジウム

    日  時:2017年9月23日(土)14時~
    場  所:文理学部3号館3304教室
    テ  ー  マ:失われたエデンを求めて
    コーディネーター:高橋利明(文理学部教授)
    発  題  者:

    1.Toni Morrisonの描くエデン――Paradise について

    文理学部講師 茂木 健幸

    2.トウェインと “Angelfish” たち

    理工学部教授 鈴木 孝

    3.『大理石の牧神』の見出されたエデンをめぐって

    文理学部教授 高橋 利明

    梗概はこちら

     

    10月英語学シンポジウム

    日    時:2017年10月14日(土)14時~
    場    所:文理学部3号館3304教室
    テ  ー  マ:Be to, or not be to, that is the question
    コーディネーター:佐藤健児(文理学部助手)
    発  題  者:

    1.現代英語の be to 構文に関する記述的研究

    文理学部助手 佐藤健児

    2.Be to 文の意味ネットワーク

    文理学部准教授 一條祐哉

    3.コーパスから見える if … were (was) to / should … の特徴

    文理学部教授 塚本 聡

    梗概はこちら

     

    11月例会

    日  時:2017年11月18日(土)14時~
    場  所:文理学部3号館2階 3201教室
    司  会:小林 和歌子(文理学部准教授)
    研究発表:1.第二言語リーディングにおける流暢さと正確さ

    博士後期課程3年 島本 慎一朗

    2.The Secret Gardenにおける人と庭の関係性
    ― ‘A Paradise within thee’ を踏まえつつ―

    博士後期課程3年 加藤 遼子

    梗概はこちら

     

    1月例会

    日  時:2018年1月20日(土)14時~
    場  所:文理学部3号館3階 3308教室
    司  会:隅田 朗彦(文理学部准教授)
    研究発表:1.『モンゴメリ伯爵夫人のユレイニア』の「パンフィリアからアムフィラントスへ」
    と「詩篇」
    ―叔母Mary Sidney Herbertから姪Lady Mary Wrothへ

    文理学部講師 藤木 智子

    2.五文型再訪―学習者の視点から―

    法政大学准教授 柳川 浩三

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    2017年度月例会

  • 2016年度月例会

    1月例会

    【日  時】 2017年1月21日(土)14:00~
    【場  所】 文理学部3号館 3406教室
    【司  会】 文理学部教授 吉良 文孝
    【研究発表】

    . Thomas Hardy 初期二作品におけるリアリズム
           A Pair of Blue Eyes Far from the Madding Crowd

    文理学部講師 堀 紳介

    . 川端康成『雪国』と英訳版 Snow Country
           表層の言葉と深層の言葉を探る

    日大豊山女子高等学校・中学校教諭 松崎 祐介

    梗概はこちら

    11月例会

    日      時】 2016年11月19日(土)14:00~
    【場      所】 文理学部3号館3階 3306教室
    【司      会】 文理学部教授 塚本 聡
    【研究発表】
    1.A Label-Based Account of That-Trace Effects

    文理学部講師 賀美 真之介

    2.Song of Solomon における Milkman Dead の移動の意味

    文理学部講師 茂木 健幸

    梗概はこちら

    10月英語教育シンポジウム

    【日     時】 2016年10月15日(土)14:00~
    【場     所】 文理学部3号館3階 3306教室
    テ ー マ】 大学英語教育でできること:日本大学文理学部の成果を通じて
    【発 題 者】
    1.大学生の英語学習成果: プレースメントテストの結果から

    文理学部准教授 隅田 朗彦

    2.What is an Acquisition-rich Classroom from SLA perspective?
    Theoretical Investigation—

    文理学部助教 小林 和歌子

    3.Extensive Reading in the College
              of Humanities and Sciences’ Foreign Language Education Center

    文理学部助教 Timothy Gutierrez

    4.CLIL and General English Education for English Majors

    文理学部准教授 Richard Caraker

    梗概はこちら

    9月イギリス文学シンポジウム

    日   時】 2016年9月24日(土)14:00~
    【場   所】 文理学部3号館文理学部3号館3階 3308教室
    【テ
    マ】 ミルトンの文学的意義
    【発 題 者】
    1.
    文学作品で学ぶ―A Maskにおける教育

     横浜商科大学特任講師 桶田 由衣

    2.Mark Twainが描く<楽園の喪失>―John Miltonの影響を踏まえて

    松山大学特任講師 野村 宗央

    3.『楽園の喪失』試論―their solitary wayへのgateについて

    埼玉医科大学専任講師 上滝 圭介

    4.SpenserからMiltonへ―キリスト教叙事詩とdual heroism

    文理学部教授 野呂 有子

    梗概はこちら

    6月例会

    日  時】 2016年6月18日(土)14:00~
    【場  所】 文理学部3号館5階 3505教室
    【司  会】 文理学部教授 保坂 道雄
    【研究発表】

    近代英語における think と seem の用法及び意味について
    ―Penn-Helsinki Parsed Corpus of Early Modern English を資料として―

    文理学部講師 齊藤 雄介

    梗概はこちら

    特別講演会

    日  時】 2016年6月18日(土)15:00~
    【場  所】 文理学部3号館5階 3505教室
    【司  会】 文理学部教授 マイルズ・チルトン
    【演  題】

    Does Romanticism Still Matter?

    東京大学客員教授 スティーブン・クラーク

    梗概はこちら

    5月例会

    【日  時】 2016年5月14日(土)14:00~
    【場  所】 文理学部3号館 3404教室
    【司  会】 佐野短期大学教授 佐藤 秀一
    【研究発表】

    1.Paradise Lostにおけるアーサー王物語的要素 -Le Morte d’Arthurとの比較を通して-

    博士後期課程1年 小川 佳奈

    2.属格の通時的研究―四福音書を中心に―

    博士後期課程3年 今滝 暢子

    梗概はこちら

    4月例会

    日  時】 2016年4月16日(土)14:00~
    【場  所】 文理学部3号館 3404教室
    【司  会】 文理学部教授 野呂 有子
    【研究発表】

    1.The Heart of Midlothian にみられる A Mask の影響

    博士後期課程1年 村松 瞳子

    2.動名詞と進行形の意味的類似性

    博士後期課程2年 島本 慎一朗

    梗概はこちら

    2016年度月例会

  • 2015年度月例会

    ★1月例会(2016年1月16日)

    【司   会】 文理学部准教授 前島 洋平
    【研究発表】
    1. 「John Milton, The Poems (1645) におけるラテン詩にみられる叙事詩性
    ―”Phoebus” との関係性を中心として―」

       博士後期課程1年 金子 千香

    2. 「当為を表す should と had better
    ―訳語「すべき」と「したほうがいい」の意味考察とともに―」

      通信教育部助教 小澤 賢司

    梗概はこちら

    11月例会(2015年11月14日)

    【司    会】 聖徳大学兼任講師 深沢 俊雄
    【研究発表】
    1. 繰り返された罪と変化するアイクの意識―『行け、モーセ』に描かれた「愛」をめぐって

    博士後期課程2年 和泉 周子

    2. 言語進化論・文化記号学から見た人間の言語

    日大豊山女子高等学校教諭 松崎 祐介

    発表梗概はこちら

    ★10月英語学シンポジウム「Be going to をめぐって―英語史・語法・言語獲得の観点から―」(2015年10月17日)

    【コーディネーター】 文理学部講師 秋葉 倫史

    英語の擬似法助動詞 be going to は、現在最も活発に議論されている構文のひとつである。本シンポジウムでは、英語史、語法、言語獲得の3つの研究領域から、be going to を取り巻く諸問題について検討してみたい。
    第1発表者の秋葉講師は、英語史の観点から、be going to の使用状況の変遷について、通時コーパスを用いて示す。
    第2発表者の佐藤講師は、条件文の帰結節中に be going to が生じる現象について、語法の観点から、その生起条件と意味機能を明らかにする。
    第3発表者の田中講師は、英語母語話者の幼児に見られる will と gonna の獲得順序の相違を示し、なぜそのような獲得パターンをたどるのかを明らかにする。
    複数の観点から、be going to とその関連現象を探ることによって、その本質に迫ること、それが本シンポジウムの眼目である。

    【発題者】
    1. 「近代・現代英語コーパスから見る be going to の変遷」

    文理学部講師 秋葉 倫史

      本発表では、be going to について通時的な考察を行う。Be going to の発達について、Traugott (2003)では以下のようにその過程を説明している。
    (1)Stage I      be going [to visit Bill].
    Stage II   [be going to] visit Bill.
    Stage III  [be going to] like Bill.
    Stage IV  [gonna] like / visit Bill. (Hopper and Traugott(2003: 69))
    Stage I では、方向を表す go の進行形に目的の意味を表す to 不定詞が続く。Stage II では、活動を表す動詞を伴い未来の助動詞として再分析され、Stage III では、類推によって状態動詞を含む全ての動詞に拡張 され、Stage IV では、単一の形態素に再分析される。
    Hopper and Traugott(2003)等の先行研究を踏まえ、本発表では3つのポイントについて検討したい。まず、be going to が準助動詞化した時期(Stage I-II)について、次に be going to が推量の意味を表すようになった 時期(Stage II-III)について、そして最後に gonna が使用される時期(Stage III-IV)について、通時コーパスを用いてそれぞれ頻度の点から考察を行う。引用コーパスとして、初期近代英語では、Penn-Helsinki Parsed Corpus of Early Modern English(PPCEME)、後期近代英語では、Penn Parsed Corpus of Modern British English(PPCMBE)、また、近代から現代英語コーパスとして、Corpus of Historical American English(COHA)を主として使用する。ここから抜粋した例文を基に、近現代における be going to の変遷を示す。

    2. 「条件文の帰結節における be going to の語法」

    文理学部助手 佐藤 健児

       一般に、未来時に言及する条件文の帰結節では、will は用いられるが、be going to は用いられないとされる(Cf. Leech(1971, 1987, 2004)、Quirk et al.(1985)など)。例えば、Leech(1987: §94)は次の(1a)と(1b)を比較して、帰結節に be going to が用いられた(1b)は “unlikely” であると主張している。
    (1)a.  If you accept that job, youll never regret it.
    b.*If you accept that job, youre never going to regret it.
    しかし、実際には、次の例に見るように、条件文の帰結節に be going to が用いられた例は数多く存在する。
    (2)“Look, George. I’m telling you, George, if you do not ask Lorraine to that dance, Im
     gonna regret it for the rest of my life.”(映画 Back to the Future
    そもそも、未来時に言及する条件文の帰結節では、be going to は用いられないとされるのはなぜだろうか。また、帰結節に be going to が用いられた場合、そこにはどのような時制構造や意味機能が存在するのだろうか。本発表では、条件文の帰結節における be going to について、その生起条件と意味機能を明らかにしてみたい。

    3. “An Excursion into Language Development in Children: the Case of English Future Expressions”

    文理学部講師 田中 竹史

     本発表では、英語母語話者の幼児による未来表現の獲得を概観し、なぜそのような獲得パターンとなるのかについて、Nakajima(1996)、Rizzi(1997)、Cinque(1999)以降進展著しい Cartography Project の視点から検討を行う。
    まず手始めに、大人による未来表現(will, ‘ll, shall, going to, gonna)の分布を確認し(Berglund 1997, 2000)、続いて、未来表現のうち特にwillとgonnaに焦点を当て、幼児による獲得パターンを概観する(Klecha et al. 2008)。その後に、なぜそのような獲得パターンとなるのかについて議論を進める。議論の過程では、大人の文法、幼児の文法、失語症患者の文法、言語計算・言語処理にかかわる言語以外の認知能力、などに触れる予定である。
    本発表では、観察される獲得パターンが、Catasso(2012)や Harwood(2014)で議論されるIP領域の構造と、IP領域を中心とした任意の場所おいて tree-pruning / truncation が起こるという Martinez-Ferreiro & Mata-Vigara(2007)の提案から導かれることを示したい。

    ★9月アメリカ文学シンポジウム 「アメリカ文学と東洋」(2015年9月26日) 

    コーディネーター】 文理学部准教授 堀切 大史

    本シンポジウムのテーマを決めるにあたって、今回の発表者のおひとりと話しあっている際に、「アメリカ文学と東洋」というテーマではどうかという提案を受け、私は日頃から、文学において大切なことは、作品と読者である自分自身のアイデンティティーとの関係性を探ること、いいかえれば、文学作品からいかに普遍的価値を見いだせるかであると考えているため、これはよいテーマであると思い、今回のシンポジウムのテーマとさせていただくこととなりました。
    三名の発表者からはそれぞれ、エマソン、ホーソーン、フィツジェラルドという三人の作家とそれぞれの東洋との関わりについてお話しいただくことになっております。
    本シンポジウムをとおして、オーディエンスの方々が、あらためて「自分にとって外国文学とは何か?」ひいては「日本人にとって外国文学とは何か?」とご自身に問いかけるきっかけになればよいと考えています。

    【発題者】
    1. エマソンにおける東洋―“Brahma”の一側面について―                                             

    博士後期課程1年 一瀨 厚一

      「ブラーマ」(“Brahma”)は1857年に発表された、エマソン(Ralph Waldo Emerson, 1803-82)の代表的な詩である。この詩はヒンドゥー教の経典の一つである『バガヴァッド・ギーター』から着想を得て書かれており、エマソンの東洋思想に対する強い関心と理解が窺える。東洋思想は、西洋思想を基盤とするエマソンの思想と結び付いたのである。〈東洋〉と〈西洋〉という一見交わらない概念には、共通の接点が存在し、エマソンはそれに気づいていたのではないか。したがってエマソンの考える〈東洋〉は、窮極的には、この接点のことであると考えられる。
    ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、『論議』(Discusión)(1932)に収められている「ウォルト・ホイットマン覚書」(“Nota sobre Walt Whitman”)において、エマソンの「ブラーマ」を、ヘラクレイトス、プロティノス、アッタール、シュテファン・ゲオルゲらの作品と比較し、それらに共通の普遍性を見出している。 またエマソンは『評論第二集』(Essays, Second Series)(1844)に収められている「経験」(“Experience”)において、“The history of literature—take the net result of Tiraboschi, Warton, or Schlegel,—is a sum of very few ideas and of very few original tales; all the rest being variation of these.”と述べている。これらを手掛かりに、エマソンは、東洋と西洋の間にある思想的障壁を越えて、両概念の背後に存在する普遍性を観ていたこと、そして東洋は、エマソンにおいて、その普遍性を表現するための単なる一つの方法であったことを「ブラーマ」を通して考察する。

    2. 『緋文字』における「植物」と「罪」の相関性

    文理学部講師   尼子 充久

      アメリカ文学で最も宗教的な作品の一つとされるThe Scarlet Letter (1850) で描かれている、アーサー·ディムズデール(Arthur Dimmesdale)とへスター·プリン(Hester Prynne)の姦通事件が意味するものは、単なる男女の一時の過ちにとどまらず、全人類が各々に持っているとされるキリスト教的な原罪までも含まれています。そのことは、第一章The Prison Doorで語り手自らがこのロマンスを「人間の弱さと悲しみの物語」(“a tale of human frailty and sorrow”)と説明していることからも明らかですが、Nathaniel Hawthorne (1804-64)は、この「罪」という極めて抽象的な概念を描くために全作品を通じて多くの工夫を凝らしています。特に、『緋文字』のなかでの最大の悪人であるロジャー· チリングワース(Roger Chillingworth)の「罪」の描写には「植物」が効果的に用いられていると思われます。また、その植物は部分的にではありますが、オリエントという概念とも結びついていると言えるのではないでしょうか。チリングワースが復讐という罪を完遂させるためにディムズデールに飲ませている薬は、植物から生成されており、インディアンの薬草の知識と西洋医学が融合したものが基礎となっています。チリングワースはオランダからアメリカに渡った直後はインディアンに捕獲されて、そこでしばらく過ごしている間に薬草の知識を学び、その後、イギリス人の住む植民地に連れて来られたわけですが、インディアンの語源はコロンブスがカリブ諸島に到着した際にインド周辺の島と誤認したことであることは周知の事実であります。つまり、インディアンあるいはインディアンの薬草の知識、さらには、チリングワースの医者としての超人的な能力の一部はオリエントの表象の一つであると考えることが可能なのではないでしょうか。

    3. 村上春樹を通した東洋のフィッツジェラルド受容―『ノルウェイの森』を中心に―

    日本大学講師 岡田 善明

     日本フィッツジェラルド協会会長の宮脇俊文は、F. Scott Fitzgerald (1896-1940)の後継者は村上春樹であると述べている。村上春樹『ノルウェイの森』(1987)は東洋の多くの国でベストセラーとなっている。作品の中で主人公のワタナベがベストワンの書物はフィッツジェラルドのThe Great Gatsby(1925)である、と述べているが、『ノルウェイの森』はフィッツジェラルドのThe Great GatsbyTender is the Night (1934)の影響を受けている。
    本発表では、アメリカ人の潜在意識にあるinnocentな「アメリカのアダム」からくるモラルの精神を確認したうえで、村上春樹がフィッツジェラルドの「アメリカのアダム」を必ずしも受容せず、欧米のモダンまでの伝統的なモラルをそのまま作品の基本として使わずに、日本的ポストモダン的な考えで、モラルの仮想化により創作活動を行っている点を、『ノルウェイの森』を中心にフィッツジェラルド作品と比較しながら考察していく。村上春樹におけるフィッツジェラルド受容の実相とあわせて、東洋でベストセラーとなっている村上文学の本質を究明し、フィッツジェラルド文学の東洋における意味を探りたい。

    ★6月例会・特別講演(2015年6月20日)

    【司     会】 佐野短期大学教授 佐藤 秀一
    【研究発表】 Toni Morrison 作品における排除される者の描き方の変化:Tar Baby に焦点を当てて

    文理学部講師 茂木 健幸

     トニ・モリスンは『白さと創造力』(1992)のなかで、初期アメリカ文学において白人作家たちがどのように奴隷やアフリカ系アメリカ人を描いているかについて、「アフリカニスト」という言葉を用い指摘している。モリスンが指摘するその構造には、生贄の排除の構造を読み取ることが出来る。つまり、肌の色が違う絶対的な他者をスケープゴートとして、創成期のアメリカが求める価値から排除することで、白人作家たちはその価値(自由や新しさ、権威など)を自分たちの特徴として描くことができるのである。本発表では、そのモリスンの作品において、排除される人物がどのように描かれ、扱われているのかを考察する。
    モリスンの処女作であるThe Bluest Eye(1970)で描かれる幼い少女ピコーラはコミュニティのスケープゴートとなる人物である。物語を通して、ピコーラのコミュニティや家族、友人から排除される姿が眺められている。Tar Baby(1981)において排除の対象となるのは主人公サンである。ピコーラと違い、成人であり、雄弁なサンは排除のヴェールの内側に侵入する。排除されることなくとどまり続けるその存在は、モリスンに混沌、そしてその混沌から新たな秩序を想像することを可能にさせている。同様にBeloved(1987)で描かれるビラヴドも、排除される存在である。母セサに殺された娘の蘇った姿であるビラヴドは「124番地」に、生と死、現在と過去の入り混じる混沌を創り出す。サンもビラヴドも作品の最後では排除の内側へ向かおうとする姿が描かれているが、その描かれ方には違いがある。つまり、その場面で作者は、忘れ去られようとするビラヴドの姿を描き、さらにはその名を呼ぶのである。そこに、ビラヴドを排除するのではなく、作品の内側に受け入れようとするモリスンの態度を読み取ることが出来る。

    【司   会】 文理学部教授 高橋 利明
    【特別講演】 早わかりフォークナー

    東京大学名誉教授 平石 貴樹


    5月例会2015年5月16日)

    【司     会】 文理学部准教授 一條 祐哉
    【研究発表】
    1. Paradise Lost における母胎としての楽園

    博士後期課程2年 加藤 遼子

     17 世紀イギリスの詩人 John Milton (1608-74) の長編叙事詩 Paradise Lost (1667) には様々な場所が描かれているが、その中で本発表ではエデンの園に焦点を当て考察する。エデンの園は神が人間の為に創造した空間であるが、開けた空間ではなく、周囲は木々で囲まれた閉ざされた空間となっている。庭の閉ざされた空間と母胎の閉ざされた空間はしばしば同一視される。その伝統的な考えを念頭に置き、Paradise Lost に描かれたエデンの園が母胎としていかに機能しているか明らかにすることを目的とする。

     2. ラベルの不可視性と最小探索

    博士後期課程3年 賀美 真之介

     本発表では、ラベル付けされた統語対象物が最小探索にとって非可視的であるという仮説と、併合のためのリソースは二回の最小探索により決定されるという仮説を提案し、その仮説をもとに、目的語移動を含んだ例文(補部/付加詞からの抜き出し、残余部移動、分詞的副詞句からの抜き出し、絵画名詞を含んだ疑問文)を分析し、その妥当性を検証する。

    4月例会(2015年4月18日)

    【司   会】 文理学部教授 保坂 道雄
    【研究発表】
    1. Beowulf における法助動詞

    博士後期課程2年 今滝 暢子

     本発表の目的は、現代英語では専ら助動詞として用いられている modal verbs が、古英語叙事詩 Beowulf においてどの程度助動詞的な性質をもって使われているかを考察した内容を報告することである。具体的には、willan, shulan, cunnan, magan, motan の5つの語の用例について、形態・意味・統語の3つのアプローチで分析し、文法化の観点より考察した結果を述べる。
     先行研究として、古英語における
    modal verbs の意味特性を論じた小野・中尾 (1980) および Beowulf における法助動詞の特徴を分析した Bliss (1980) を取り上げる。その上で、自らの研究結果として、資料中の法助動詞の用例を 

    (1) 屈折を保持しているか(形態的特性)
    (2)
    補部として共起している要素は名詞か不定詞か(統語的特性)
    (3)
    根源的用法・主観的用法•間主観的用法のいずれの意味で用いられているか(意味的特性)

    以上の3つの観点より分類し、得られた分析結果を踏まえてそれぞれの文法化の度合を考察する。

    言語資料 

    Fulk, R. D., Robert E. Bjork., & John D. Niles, eds., 2008. Klaeber’s “Beowulf and the Fight at Finnsburg.” 4thed. Foreword by Helen Damico. (Toronto Old English Series, 21.) Toronto; Buffalo, N.Y.; and London: University of Toronto Press.

     参考文献

    Bliss, Alan. 1980. Auxiliary and verbal in Beowulf. Anglo-Saxon England, 9, pp 157-182. doi: 10. 1017/S0263675100001150.
    Donoghue, Daniel. 1987.
    Style in Old English Poetry: The Test of the Auxiliary. Yale University Press.
    Mitchell, Bruce. 1985.
    Old English Syntax. volume 1. Oxford: Clarendon Press.
    Ogura, Michiko. 1996. Verbs in Medievel English: Differences in Verb Choice in Verse and Prose. (Topics in English linguistics; 17.) Berlin: Mouton de Gruyter.
    Suzuki, Hironori. 2006.
    Word Order Variation and Determinants in Old English. Nagoya: Manahouse.
    Traugott, Elizabeth Closs. 2010. “Revisiting Subjectification and Intersubjectification.” in Kristin Davidse, Lieven Vandelanotte, and Hubert Cuyckens, eds., Subjectification, Intersubjectification and Grammaticalization, 29-70. Berlin: Mouton De Gruyter.
    小野茂・中尾俊男. 1980. 『英語学大系8 英語史Ⅰ』東京:大修館書店.
    中川良一. 1982.『ベーオウルフ研究韻律と文構造』東京:松柏社.
    保坂道雄
    . 2014. 『文法化する英語』東京:開拓社.

    2. ジェイン・エアの旅

    理工学部講師 北原 安治

      ヴィクトリア朝の女流小説家シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』を取り上げる。この小説は自己形成の小説であり10才から20才までの出来事を、ジェイン自身が振り返って述べる自伝的小説である。ジェインは5つの場所を巡り歩き、辛いことにあったり励まされたりしてロチェスターと結婚に至る。今回の発表の目的は5つの場所に進む際の決断に焦点を当て、ジェインの決断する自我がどの様に作られていくかを説明するものである。

    2015年度月例会

  • 2014年度月例会

    1月例会(2015年1月17日)

    【司 会】 文理学部講師 當麻 一太郎

    【研究発表・梗概】

    1. Joe Christmasの死に関する一考察:人種・ジェンダー・社会的観点から

    博士後期課程1年 和泉 周子

     William Faulknerの代表作の一つであるLight in August (1932) の主要登場人物Joe Christmasは、南部共同体が体現する白人男性至上主義社会にあって、自らもracistかつsexistであるにもかかわらず、自らに流れる黒人の血の可能性と自らに潜む女性性に対する恐怖という、主に人種とジェンダー、この二つの観点に起因する問題に苦しみ、生涯、白人にそして真の意味での男性になるべくもがき続けるのだが、最終的に「黒人」として愛人関係にあったJoanna Burdenを殺害し、その結果、共同体の価値観を体現するPercy Grimmによって去勢・殺害されることによって「女性」となる。しかしながら本発表では、クリスマスの死の場面におけるクリスマスの女性化という点の見直しを試みたい。クリスマスは去勢・殺害されることにより、ある意味で「男性化」したのではないだろうか。本発表は、クリスマスの死と男性化をめぐる問題を、彼の黒人化という点を踏まえ人種的に、彼の男性性の獲得・確立、及び表明という点でジェンダー的に、彼の死と男性化が共同体に、そしてまた、共同体が彼の死と男性化にもたらす影響・結果という点から社会的に考察する。

    2. 自動詞を伴う完了形の変遷

    文理学部講師 秋葉 倫史

     本発表では、自動詞と共起する完了構文、特に、(1)に見られるような自動詞を伴うhave完了形に注目する。

    (1) Þa      he hæfde  gedruncen,   ða  cwæð      he to  him.
    when    he had     drunk      then    said        he to  him
    ‘… and he drank. Then his father Isaac said to him’        (Gen 27. 25-6, Mitchell 1985: 289)

    一般にPEのhave完了形は、本動詞 ‘have’ が対格目的語をとる構文、すなわち(2a)のOEの‘have + object + past participle’構文から発達したとされる。

    (2)    a.  Ic hæbbe / hæfde hine gebundenne
    b.  I have / had bound him                      (中尾・児馬 1990: 110)

    (2a)では、habbe / hæfdon ‘have’は対格目的語をとる所有の意味の本動詞で、その目的語 hine を修飾する過去分詞 gebundenne には屈折語尾neがあり、目的語と性・数・格が一致した。その後、屈折がなくなり、haveの本動詞の意味が薄れ、助動詞化し、haveと過去分詞が隣接することで、(2b)のPEの完了形へと発達していく。(2)で見られるようにhave完了形は目的語をとる他動詞構文から発達してきたために、当初は、目的語をとる動詞 (過去分詞) と結び付くこととなる。(2a)のhave完了形の起源の構文に対して、本発表で扱う(1)のような自動詞を伴う構文は目的語を持たないため、haveに所有の意味はなく、すでに助動詞化しているものと判断できる。したがって、have完了形が自動詞と伴う例は、have完了構文が確立していることを示す一つの基準となる。
    have完了形と共起する自動詞は頻度、種類ともに増加していく傾向にあるが、その中でも(3)のようなbe 動詞と共起する例がME以降著しいことが観察される。

    (3) a. Swa ic habbe ibien full of euele þohtes.               (CMVICES1,15.176)
    b. He had be at Rome,                        (CMCAPCHR,122.2750)

    本発表では、各時代の通時的コーパスを用いて、これらの自動詞を伴う完了構文の変遷を示し、特に、(3)に見られるbe動詞との共起に注目して、have完了形の発達状況を考察することを目的とする。

    11月例会(2014年11月15日)

    司 会】 文理学部准教授 飯田 啓治朗

    研究発表・梗概

    1. Paradise LostにおけるSatanの天国回帰願望

    博士後期課程1年 加藤 遼子

     17世紀のイギリス叙事詩人John Miltonが1667年に発表したParadise Lostに描かれているSatanの持つ神への復讐心の中に、追放された天国へ回帰したいという願望が見られる点に着目し、Satanがなぜ天に回帰したいと願うのか本文の中から読み解くことを目的とします。また、同じように神からの戒めを破ったために楽園を追放されたAdamSatanの比較をし、Satanの中にある願望がどのようなものであるか明確にしていきたいと思います。

    2. 英語受動文の階層性に関する一考察-中間構文との関連性を中心に-

     経済学部助教 久井田 直之

     本発表は以下の2種類の文を中心に考察する。

      (1) This book is sold well.
      (2) This book sells well.

    (1) はbe受動文で、The bookstore clerk sells this book wellのような能動文と対応する文とされ、This book is sold well ( by the bookstore clerk ). のように動作主を示すby句は非焦点化などの理由で省略される。先行研究でもbe受動文ではby句は省略されることが多いと指摘されている。

    (2) は中間構文と呼ばれ、形は能動文の自動詞文と類似しているが、文意は「この本はよく売れる」となり、受動文の意味となる。しかし、(2)は特定の動作主をby句で示すことができない(ex. *This book sells well by John. )。

    いくつかの相違点は以下の表のように整理することができる。

    be受動文 中間構文
    主語らしさ(Subjecthood) 弱い 強い
    受影性(Affectedness) 強い 弱い
    By句の役割 動作主 潜在的動作主

     

    本発表の目的は、be受動文と中間構文の相違点を中心に考察し、英語の受動文は、受動文の特徴を満たすかどうかによって、いくつかの受動文に分類することができ、その分類の中に、中間構文も含めて、英語の受動文の階層性があることを指摘することである。

    ★10月英語教育シンポジウム(2014年10月18日)

    【テーマ】 「『英語で英語の授業』と現実 」

     現行の(平成25年4月施行)高等学校学習指導要領には,英語の「授業は英語で行うことを基本とする」と書かれている。また,「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」によると,中学校においても「授業は英語で行うことを基本と」していく方針である。英語教育が変わりつつある今,学校現場で行われている授業を紹介していく。英語教師を目指す学生にも聴きに来てもらいたい。

    【司 会】  日本大学鶴ヶ丘高等学校教諭 加藤 寛典

    【発題者】
    1.  英語で英語の授業―中学校・高等学校における発信力強化のための実践例
    横浜翠陵中学・高等学校教諭 江村 直人

     学習指導要領が改訂され、「英語の授業は英語で行うことを基本とする」と明示されています。また、外国語科の目標として「外国語を通じて,言語や文化に対する理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,情報や考えなどを的確に理解したり適切に伝えたりするコミュニケーション能力(の基礎)を養う」ということが掲げられています。
    学習指導要領をふまえ、日々向き合っている生徒たちとの関わり合いの中で、私が日ごろ「英語で英語の授業」を組み立てるうえで特に意識している点は以下の2点です。

    ①生徒が英語のインプット、インテイク、アウトプットを行う活動を各所に取り入れること。
    ②様々なペアワークを取り入れることで協同学習の場を与えること。

    ①によって、生徒の英語使用量を増やし、英語を積極的に使おうとする態度を養うことができると考えています。また②によって、生徒がお互いに楽しみながら学び合う場面を設定し、「気づき」の機会を与え、生徒同士が仲間意識を持つことも大切にしています。それらをふまえた活動の中で、生徒が「英語力」そして「発信力」を身につけていくことができると考えています。
    本発表では、コミュニケーション能力を自らの考えや意志を臆することなく他者に伝えることのできる「発信力」と捉え、それを育むために発表者が中学校・高等学校で展開している授業を紹介させていただきます。また授業での生徒の様子を交えながら、「英語で英語の授業」の効果や今後の課題、問題点を皆さまと一緒に検討していきたいと考えております。

      2.  特進コースでの授業
    日本大学鶴ヶ丘高等学校教諭 加藤 寛典

     特進コースで行っている英語教育を紹介する。授業では生徒が4技能の活動をできるよう配慮している。具体的には,構文解釈,速読,リスニング,音読,発話,語彙,短い英作文等である。実際の授業方法を紹介したい。また,文部科学省は大学受験における英語の試験のあり方を変えようとしている。その変化を鑑みながら,今後取り入れていく教授法を提示する。

      3.  自己教育力向上に必要なメタ認知力を高める英語教育
    静岡理工科大学星陵中学校・高等学校教諭 島本 慎一朗

     学習指導要領の改訂を受け、従来の「英語」という科目名が「コミュニケーション英語」という科目名に変更されたこと、社会的な風潮などから、現在の中学校・高等学校の英語の授業にプラクティカルな英語の技能の習得がより強く求められるようになった。しかし、プラクティカルな英語というのはそれで独立するものではなく、下に述べる英語の土台の上に成り立つものであると考える。
    本発表では、中学校・高等学校における授業ですべきことを自分で必要に応じて英語力を伸ばすことが出来る力を養うことと、英語の仕組みや日本語との違いといった土台を教えることの2点を徹底すべきであると主張する。
    自分で必要に応じて英語力を伸ばすことが出来る力は自己教育力と呼ばれ、教える自分と諭す自分、導く自分と導かれる自分、育てる自分と育てられる自分とが同じ1人の中に同居し、能力を高めることができる力である。前者の自分(メタ)を認知する力(メタ認知力)が必要不可欠になる。このメタ認知力を高める授業実践例を紹介する。
    英語能力向上の土台となる力として、1)未知語に対して、文脈や論理構造、既知の単語の派生(意味的・形態的な派生)から推測できること2)日本語との違い(言語の仕組みの違いと運用能力の違い)を意識すること3)文法事項や単語の中に共通点や規則性を発見し、本質を見極めることの3点を挙げ授業実践例を紹介する。

    ★9月イギリス文学シンポジウム(2014年9月27日)

    【テーマ】 「状況小説の現在」

    【司 会】  文理学部准教授  前島 洋平

    【発題者】

    1.「状況小説」として読む『ハワーズ・エンド』(1910)
    ―「文化的対立」と「三代目」を手掛かりに―
    東北女子大学准教授  杉本 久美子
    1910年に出版されたE.M.フォースターの『ハワーズ・エンド』には、20世紀初頭のイギリス社会が色濃く反映されている。作品で描かれる階級差、田舎と都市部、価値観の違いといった二項対立は、当時の社会状況がより複雑かつ混迷していたことを物語っている。また作中で用いられる「三代目」という表現は、作品の中核としてだけでなく当時の社会状況を知る重要な手掛かりとなっている。本発表では二項対立と三代目を糸口とし、状況小説として『ハワーズ・エンド』を読み解きたい。

    2. モーム作品に見られる状況小説の効果―『劇場』(1937)を中心に―
    文理学部准教授  前島 洋平
    ストーリーテラーの称号を与えられたサマセット・モームにあって、巧みな技巧が施されているのは登場人物の会話や行動だけではない。本発表では1897年に発表された処女作『ランベスのライザ』と1902年に発表された長編第4作『クラドック夫人』に触れたのち、1937年に刊行された『劇場』を取り上げて、本作に見られる状況小説の効果がいかなるものかを検討する。最終的には、モームの長編小説と状況小説の密接な関係を浮き彫りにしたい。

    3. 状況小説の現在―『碾臼』(1965)にみる20世紀の女性を巡る状況―
    松山大学法学部准教授  新井 英夫
    これまでマーガレット・ドラブル(Margaret Drabble 1939-)の『碾臼』(The Millstone 1965)は、多くの批評家によって、教養小説やフェミニズム小説の観点から論じられてきた。本発表ではこれらの論を基礎に、新たに1960年代の女性を巡る状況、特に女性に関係する法や社会保障制度に着目し、主人公ロザマンド・ステイシー(Rosamund Stacey)の「未婚の母」という道を成立させる基盤となっていたものとはいったいどのようなものであるのかについて考えてみたい。尚、発表では時間の許す限り、当時の女性に関係する法や様々なデータを参照し、いかに本小説がこの時代の状況と密接したものであるか確認してみたい。

    4. デイヴィッド・ロッジの状況小説―『ナイス・ワーク』(1988)を中心に―
    文理学部教授  原 公章
    ロッジの大学三部作、1969年を背景とした『交換教授』、1979年を背景とした『小さな世界』、そして1986年を背景とした『ナイス・ワーク』を取り上げ、時代の状況により大学の在り方とそこで働く人たちの意識が、いかに関わるかを、物語を通してたどる。さらに、その時代の状況が、小説とどのように密接するかを考える。

    ★6月特別講演会(2014年6月7日) ※詳細はこちらをご覧ください。

    【司 会】 文理学部教授  保坂 道雄

    【講演者】 マサチューセッツ工科大学(MIT)教授・東京大学特任教授
    宮川 繁 先生

    【演 題】 進化論から見た人間の言語

    5月例会(2014年5月17日)

    【司 会】 文理学部教授 塚本 聡

    【研究発表・梗概】

    1. A Masque presented at Ludlow Castle, 1634 における
    キリストの予表としての
    Sabrina
       博士後期課程3年 桶田 由衣

      17世紀英国詩人John Milton (1608-74) A Masque presented at Ludlow Castle, 1634 は、通称 Comusとして知られる仮面劇である。主人公the Lady は、弟達と共に父親の元に向かう途中、肉欲的な魔神 Comus の住む森で弟達と逸れる。逸れたthe Lady の元に Comus が現れ、甘言を用いて自分の魔殿に連れ込む。一方、姉の身を案ずる弟達の元に、the Attendant Spirit が現れ、Comus 撃退のための魔除けの薬草 ‘haemony’the Lady の弟達に渡す。弟達は Comus を撃退することはできるものの、the Lady を縛り付ける Comus の魔力を解くことができない。そこで、再び現れた the Attendant Spirit が、セヴァン川の仙女 Sabrina を呼び出し、the Lady を救済する。
    以上の粗筋からも明らかなように、Comus の魔力から完全に解かれるためには、Sabrinaによる救済が不可欠である。このSabrina について、the Attendant Spirit Sabrina の生前の話、命を落とし、そしてセヴァン川の仙女として復活した経緯を説明している。この説明の中で語られるSabrina の死の場面について、キリストの受難を想起させると論じる先行研究もあることから、Sabrina がキリスト教の要素を備えた存在であると考えられる。そこで本発表では、次の三点に焦点を当てる。先ず、弟達が Comus の館を襲撃する際に携えていた ‘haemony’、二点目にSabrina が登場時に乗じていた‘chariot’、そしてthe Lady 救済時にSabrina が行う ‘baptism’ という三点である。これら三点をもとにして、Sabrina がキリストの予表として描かれていることについて検証する。

    2. 中英語期の非人称動詞 semen
        文理学部講師 齊藤 雄介

      本発表では、中英語期に存在した非人称動詞、semenを扱う。semenは現代英語におけるseemの語源となった語で、12世紀の終盤に古ノルド語から英語に借入された。また、非人称動詞というのは、(1)のようにその節の中に主語を必要としない動詞のことである。

    (1) Me   semith  she   was    a blessed womman and wel
      to me  seems   she   was    a blessed woman    and well

        sette,         that     dradde    hir to  speke with Seint Martyn
        developed  so that  feared    her to  speak with Saint Martin

      ‘She seemed so blessed and developed that I feared her to talk with 
        Saint Martin’

                                    (CMAELR4,4.98/M4)


       しかしながら、中英語期では容認されていたこの用法は、現代英語においては、主語を持たないため非文となる。そこで、現代英語のseemには(2), (3)の用法がある。

    (2) This diamond seems real.
    (3) It seems that this diamond is real.


     (2), (3)はいずれも「このダイアモンドは本物であるように思われる。」という意味である。しかし、(2)と(3)では統語的な構造が異なっており、(2)ではraisingという文法操作が行われており、(3)では仮主語のitが用いられている。このことから、同じ語源であっても、中英語のsemenと現代英語のseemは用法が異なっているといえる。さらに、中英語期のsemenには(4)のような例も存在する。

    (4) all hir dedis can hir seme
      ‘all of her deeds may be suitable to her’ (Cursor Mundi 3311 C)


     (4)では、semenbe suitableの意味で使用されており、意味においても現代英語のseemとは異なっているのがわかる。
     そこで、本発表ではMEDのデータを資料とし、それを観察、分析することによって中英語期のsemenの用法と意味を考察することを目的とする。

    ★4月例会(2014年4月19日)

    【司 会】 文理学部准教授  閑田 朋子

    【研究発表・梗概】

    1. ラベル付けと素性継承 The Labeling Algorithm and Feature Inheritance
    博士後期課程2年 賀美 真之介

     併合 (merge) は,2つの要素からなる集合を構築する操作であるが,このときに問題となるのは,どちらの要素がその構造のラベルになるかということである。
     極小主義以前の理論では,投射 (projection) によりラベル付けが捉えられてきたが,投射を仮定しないBPS (Bare Phrase Structure) を句構造とする極小主義では,併合によるラベル付け,minimal searchによるラベル付けなどが提案されてきた。
     本発表では,素性継承理論の下では,どのようにラベル付けがなされるのかを考察する。この理論下では,非循環的な派生が必要であることを議論し,EF2素性あるいは共通する2つの素性を探索するminimal searchによるラベル付けを,単純な平叙文を具体例として提案する。

    2. Jane Austen, Persuasion に見る「説得」の意味
                           文理学部人文科学研究所研究員 宇野 邦子

    Persuasion
    Jane Austen (17751817)40才頃の作品で、完成作品としては最後のものである。亡くなる1年ほど前に書き上げられ、1818年に死後出版された。イギリス南西部のSomersetshireの架空の地Kellynchを舞台にくり広げられる恋愛物語である。物語は1814年の夏に始まり、翌年の2月または3月初めに終わる。背景には、19世紀当時の紳士階級の変化やナポレオン戦争などがある。
    ヒロイン
    Anneは、19才の時にWentworth海軍中佐と激しい恋をして婚約する。しかし母親代わりのシニア女性に説得され、その忠告に従い、婚約解消をしてしまう。ところがAnneは、それは自分にとって取り返しのつかない間違った選択だったことに気付き、彼を忘れることができず密かに愛し続け、7年余りの月日が流れても後悔と失意の日々を過ごしている。そして今Anne27才になっている。過去の恋という伏線が敷かれて、物語は始まる。物語のもととなる出来事が8年前に起こってしまっているところから始まるのが、小説Persuasionの特徴である。
    AnneとWentworthは偶然に8年ぶりに再会する。互いの周りの人々同士の隣人仲間としての交際が進むにつれ、2人は表面上は冷静に振る舞いながらも、失っていた愛を徐々に修正しながら回復していく。それはどのようにして修復されていったのだろうか。そもそもAnneの婚約解消を説得したLady Russellは、なぜそうしたのだろうか。彼女はヒロインの運命を変えた重要な女性であるにもかかわらず、物語全体の中でその存在はやや影が薄い印象であるが、それはなぜだろうか。物語をたどりながら、そしてヒロインAnneの心理の変化を見ながら、これらの疑問を解明し、この作品における「説得」の持つ意味やLady Russellがこの作品に登場する意味を考察してみたい。そしてこの作品を通して作者は私たちに、何を訴え、何を教えてくれているだろうか。Jane Austenのメッセージを少しでも捉えることができるよう、努力してみたい。

    2014年度月例会

  • 2013年度月例会

    ★1月例会(2014年1月25日)

    【司 会】 文理学部教授  塚本 聡

    【研究発表】

    1. 自動詞と共起する完了形の発達
    文理学部講師  秋葉 倫史

    2. 風景庭園の詩学―E. A. ポーの「アルンハイムの領地」を読む
    文理学部准教授  堀切 大史

    【梗 概】

    1. 自動詞と共起する完了形の発達
    文理学部講師  秋葉 倫史

    本発表では、自動詞と結び付く完了構造の変遷について検討する。英語の完了形は、通時的に(1)のような古英語の ‘have + 目的語 + 過去分詞’ 構造を起源とするhave完了形と(2)のような ‘be + 過去分詞’ からなるbe完了形の2つに大別される。

    (1) … þa     þa      ge    hiene  gebundenne  hæfdon
    … then  when  you  him    bound      had
    ‘… then when you had bound him’        (Or 6 37. 296.21, Traugott(1992: 190))
    (2) oþþæt   vintra     bið   þusend      urnen
    until     winters   is     thousand   run
    ‘until a thousand years have passed’             (Denison(1993: 359))
    古英語から中英語にかけて自動詞はbe完了形と共起する傾向にあるが、have完了形の発達に伴い、近代英語以降にその役割がhave完了形へと移行されていく。本発表では、第一に、have完了形とbe完了形が自動詞と共起する例の分布を、通時的コーパスを用いて検証することを目的とする。
    また、(3)のような初期のhave完了形と自動詞が共起する構造にも注目する。
    (3) þær     beteah      Gosfrei     Bainnard   Willelm   of   Ou  þes  cynges  mæg
    there   accused   Geoffrey   Baynard    William   of   Ou  the king’s   kinsman

    þæt     he   heafde  gebeon   on   þes  cynges   swicdome
    that   he   had          been   in    the    king’s     treachery

    ‘There Geoffrey Baynard accused William of Ou, the king’s kinsman, of having been a traitor to the king.’      (ChronE 232.18(1096), Visser(1963-73:§1902))

    (3)に見られる構造は、目的語を持たない自動詞と共起するため、‘have + 目的語 + 過去分詞’ の他動詞構造からhave完了形が確立した例と判断される。これらの構造を詳細に分析することで、自動詞と共起する(3)に見られる構造は、目的語を持たない自動詞と共起するため、‘have + 目的語 + 過去分詞’ の他動詞構造からhave完了形が確立した例と判断される。これらの構造を詳細に分析することで、自動詞と共起するhave完了形の特徴を示し、同時に、have完了形の発達要因についても考察を行っていく。

     

    2. 風景庭園の詩学―E. A. ポーの「アルンハイムの領地」を読む
    文理学部准教授  堀切 大史

    江戸川乱歩に名作「パノラマ島奇譚」(1927年)を書かせるきっかけとなったエドガー・アラン・ポーの「アルンハイムの領地」(‘The Domain of Arnheim’, 1847年)は、恐怖小説、SF小説、推理小説、海洋冒険小説など様々なジャンルの小説を世に出したポーの作品群において、風景小説(landscape fiction)というジャンルの作品のひとつとして定着している。自然美を超えた人工楽園の構築という、唯美主義と唯物主義の微妙なバランスをテーマにした本作品は、これまでの研究において主に、理想的な世界の探究を描いたポーの美学論として論じられてきた。本発表では18~19世紀の啓蒙主義と博物学の流行という時代背景を視野に入れて作品を読み、結論として「アルンハイムの領地」が、ポーの「詩の原理」(‘The Poetic Principle’, 1850年)や「構成の哲学」(‘The Philosophy of Composition’, 1846年)と並ぶポーの詩論として読めるということを示したい。

     

    ★11月例会(2013年11月16日)

    【司 会】  鈴木 孝(理工学部准教授)

    【研究発表】

    1. 推量を表す法助動詞と疑問文
    小澤 賢司(博士後期課程3年)

    2. トニ・モリソンの描くパラダイスについての考察―Paradiseについて
    茂木 健幸(文理学部講師)

    【梗概】

    1. 推量を表す法助動詞と疑問文
    小澤 賢司(博士後期課程3年)

    疑問文における推量を表す法助動詞の容認性には、以下に見るように、説明に窮する点がある。
    (1)   a. What is norovirus? How Contagious is it? Can it be fatal? [新聞の見出
    し]                                                   (Scientific American, 2009/3/30)
    b. Can they be on holiday?                                         (Palmer 1990: 62)

    (2)   a. Will George be at home now?        (Thomson and Martinet 1980: 199)
    b. Will you (or Are you likely to) be late this evening?  (Close 1981: 128)

    (3)   a. Might they be persuaded to change their minds?    (Hewings 2013: 34)
    b. *May you go camping?                                         (Swan 2005: 316)
    c. May we not be making a big mistake?                     (Swan 1995: 324)
    d. What may be the result of the new tax?
    (Thomson and Martinet 1986: 131)

    (4)   a. Must there be some good reason for the delay?
    (Quirk et al. 1985: 225n.)
    b. *Must he be at home now?                                 (荒木他 1977: 377)
    c. Mustn’t there be another reason for his behavior?
    (Quirk and Greenbaum 1973: 56)
    d. Why must he be at least 60? I’m sure he’s much younger.
    (Declerck 1991: 408)
    Canやwillが疑問文で用いられることに問題はない。Mightは疑問文で用いられるが、mayは用いられない。また、不思議なことに、(3c)、(3d)のような否定疑問やwh疑問の環境下では、mayも疑問文で用いられる。そして、mustの容認性には(一見すると)ズレが見られ、また、mustもmayと同様、否定疑問文やwh疑問文では、その容認性が増す。本発表では、これらの推量を表す法助動詞の疑問化に関して、主観・客観の立場、ならびに疑問文の種類とその機能から考察を試みる。
    2. トニ・モリソンの描くパラダイスについての考察―Paradiseについて
    茂木 健幸(文理学部講師)

    Our view of Paradise is so limited: it requires you to think of yourself as the
    chosen people–chosen by God, that is. Which means that your job is to
    isolate yourself from other people. That’s the nature of Paradise: it’s really
    defined by who is not there as well as who is.
    『パラダイス』(Paradise, 1997)について語ったインタヴューにおいて、トニ・モリスン(Toni Morrison)はキリスト教的なパラダイスの本質をこのように語っている。神に選ばれた者だけの場所であり、「その場所にいない存在」(“who is not there”)を前提とする隔離された場所として、モリソンはパラダイスを見ている。確かに、モリソンのこの指摘を待つまでもなく、あらゆる理想郷とは、その本質において、「その場所にいない存在」の上に成り立つ。そして、「その場所にいない存在」とはつまり排除された存在に他ならない。サタンを始めとする楽園を追われた天使たち、さらにはアダムとイヴというその場所から追い出される存在があってこそ、パラダイスはその理想郷としての姿を保ち得るのである。つまり、パラダイスという場所は、理想でないものを排除するという暴力の上に成り立っていると言える。モリスンが、当初Warと名付ける予定だったこの『パラダイス』という作品にも、そのような排除という暴力を読み取ることができる。本発表では、黒人だけの町Rubyとそこから17マイル離れるthe Conventという作品の二つの中心舞台、そして作品の最後でモリスンが描くパラダイス的な空間を暴力という視座から眺め、モリスンのパラダイスに対する態度を考察する。

     

    ★10月英語学シンポジウム(2013年10月26日)

    【司 会】  佐藤 健児(文理学部講師)

    【テーマ】 「テンスとアスペクトへの誘(いざな)い」

    日本語の「お茶が入りましたよ」と「お茶を入れましたよ」とでは聞き手が受けとる印象が微妙に異なるように、文の意味や形式は話し手の気持ち(心的態度)と深く結びついている(Cf. 澤田(2011: v))。そして、このことは、テンス(時制)、アスペクト(相)、モダリティ(法性)、あるいはヴォイス(態)など、動詞にかかわる分野において特に顕著である。例えば、「話し手の視点」という立場から見た場合、次の2つの文はどのように異なるのであろうか。

    (1)a. Now where did I put my glasses?
    b. Now where have I put my glasses? (Leech(20043: 43))

    Leech(20043: 43)によれば、単純過去形が用いられた(1a)では、話し手の視点は眼鏡をなくした時に置かれており、その時に何があったのかを思い出だそうとしている。一方、現在完了形が用いられた(1b)では、現在の結果に視点が置かれており、「それが今どこにあるのか」が重要であるという。
    さらに、語用論の立場から次の2つの例を比較してみよう(和訳は柏野(1999: 102)から引用)。

    (2)a. I’ll go to the post-office this afternoon. Shall I post your letters?
    (今日の午後、郵便局に行って手紙を投函してきましょうか。)
    b. I’ll be going to the post office this afternoon. Shall I post your letters?
    (Declerck(1991: 166))
    (今日の午後、郵便局に行くついでがあるから手紙を投函してきましょうか。)

    Declerck(1991: 166)などで論じられているように、単純形が用いられた(2a)は、主語の意志を表している。そのため、聞き手は、話し手が自分のためにわざわざ郵便局へ行くことを申し出ているといった印象を持つかもしれない。一方、未来進行形が用いられた(2b)では、そのような印象を与えることはない。(2b)は「自然の成り行き」で生じる未来の出来事を表しており、「どのみち郵便局へは行くのだから、手紙を出すのは手間のかかることではない」といった意味を伝えることになるからである。

    本シンポジウムでは、英語のテンスとアスペクトに関する理論的、個別的な問題を議論する。上の例が示すように、テンスやアスペクトの選択には、物理的な制約に加え、話し手の心理が色濃く反映されている。本シンポジウムを通して、人が事態の時間的な性質をどのように捉え表現しているのか、また、その背後にはどのような心理が潜んでいるのかを理解し、共有すること、それが本シンポジウムの目的である。

    【研究発表・梗概】

    1.「「自然の成り行き」を表すwill be -ing 構文をめぐって
    ―テンス、アスペクト、モダリティの観点から―」
    佐藤 健児(文理学部講師)

    一般に「未来進行形」の名称で呼ばれるwill be -ing 構文には、(1a)のような「通常用法」のほかに、(1b)のような「特別用法」が存在することがよく知られている。
    (1)a. At this time tomorrow we’ll be sailing (across) the Caribbean.
    b. I’ll be seeing her tomorrow, so I’ll give her your message.
    (江川(19913: 233))

    下線部が示す通り、(1a)と(1b)は、両文とも、未来の状況に言及している。しかし、(1a)が未来の基準時における進行中の動作を表しているのに対し、(1b)は「自然の成り行き」で生じる未来の出来事を表しているという点において、両者には相違が見られる。
    興味深いことに、(1b)に見る「成り行き」表現は日本語においても観察される。

    (2)僕は肩をすぼめた。「ここに来ることになるだろうとは思っていたんだ。来なくちゃいけないとも思っていた。でも来る決心がなかなかつかなかったんだ。ずいぶん沢山夢を見た。いるかホテルの夢だよ。しょっちゅうその夢を見てた。でもここに来ようと決心するまでに時間がかかったんだ」(村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』)

    本発表では、「自然の成り行き」を表すwill be -ing 構文について、適宜、日本語との比較対象を織り交ぜながら、その意味論的・語用論的特徴を明らかにしてみたい。

    2.「英語の現在完了形はテンスかアスペクトか」
    山岡   洋(桜美林大学教授)

    英語の現在完了形がテンスかアスペクトかの問題は、専門家の間でも様々な意見が提示されてきている。例えば、Comrie(1976)は、他のアスペクトとは異質としながらも、アスペクトの一種として認めている。

    (1)More generally, the perfect indicates the continuing present relevance of a past situation. This difference between the perfect and the other aspects has led many linguists to doubt whether the perfect should be considered an aspect at all.(Comrie(1976: 52))

    一方、Declerck(2006)は、現在完了形はテンスであると主張している。

    (2)…,‘perfect’ is a category pertaining to tense, …(Declerck(2006: 38))
    本発表では、文法的範疇(syntactic categories)と概念的範疇(notional categories)を明確に区別し、完了形という文法的範疇がどのような概念的範疇を表すのかを詳細に検討し、「完了形」という文法用語の誤りを指摘した上で、英語の現在完了形がテンスであることを主張する。

    3. 「知覚動詞構文のアスペクト(再訪)」
    吉良 文孝(文理学部教授)

    知覚動詞構文の補文は、(一部を除き)do補文かing補文のいずれかをとり、両者の意味の違いは単純形と進行形の表わす「相」(Aspect)の違いとして説明されてきた。すなわち、「完結」対「非完結」の意味対立である。例えば、次の例において、

    (1)a. I saw her {*drown/drowning}, but I rescued her.
    (Kirsner and Thompson(1976: 215))
    b. The Company saw its market disappearing, and took immediate steps to develop
    new products. (Graver(19863: 157))
    c. In this photograph you can see Joan {blinking/*blink}.
    (Kirsner and Thompson(1976: 219))

    (1a)では「非完結」を表わすing補文でなければ矛盾をきたす。(1b)でのdo補文(disappear)の使用は、市場(しじょう)が失われるのを指をくわえて待っていたことになろう。(1c)ではing補文のみが許される。静止画像という瞬間にはdo補文(blink)の持つ時間幅が収まりきらないからである。

    本発表では、アスペクトの問題を中心として知覚動詞構文にまつわる興味深い言語事実を観察する。当該構文の全体像を割り当て時間でつまびらかにすることは無理であるが、時間の許す限り、具体例を通してことばの面白さや神秘さを共感し、その魅力を味わいたい。それが本発表の眼目である。
    ★9月アメリカ文学シンポジウム(2013年9月28日)

    【司 会】 深沢 俊雄(聖徳大学教授)

    【テーマ】 「アメリカ文学作品にみる “humanity”」

    【研究発表・梗概】

    1. ロマンスの磁場 ― “The Snow-Image” の “humanity” について

    高橋 利明(文理学部教授)

    日本の古典芸能のひとつである文楽を観る時、観客の感動はその芸能自体の高度な虚構性に由来すると言える。同じ演目を歌舞伎で人間が演ずるのとは異なり、人形が人間の替わりを演ずるという一段高い虚構性に我々は感銘を受けるのである。役者はそれぞれの仮面を被るのだが、その内実の肉感を捨象することはできない。それに比して、文楽人形は肉感を削ぎ落とされた無機質な物質ゆえに、人形遣いの想像力はその役どころの虚構性を研ぎ澄ますことが可能なのだ。

    ホーソーンの「雪人形」(“The Snow-Image”)[1851] の語り手は、文楽の人形遣いよろしく彼の想像力を無機質な雪人形の中に吹き込むことによって、芸術家の創作のプロセスとその研ぎ澄まされた虚構空間の美学的な真意を伝えている。そして、この短篇と同時期に書かれたとされる『緋文字』(The Scarlet Letter)[1850]の序文「税関」(“The Custom-House”) の中で、ホーソーンは “snow images” について、「空想が呼び寄せる形象」(“the forms which fancy summons up”) を象徴するものとして言及するのだが、その形象の動き出す舞台こそが、ホーソーンの唱える「ロマンス」の原点である「中立地帯」(“a neutral territory”)であるのだ。本稿では、現実のLindsey一家の屋敷の庭が、Violet とPeonyという幼い姉弟の純真無垢な想像力によって「中立地帯」に変容し、雪人形に生命が吹き込まれた瞬間、ロマンスの磁場を持ちえたことの意味について考察する。

     

    2.  そのときアダムとイヴに何が起きたのか
    ― マーク・トウェインが描く‘Humanity’を探る

    鈴木    孝(理工学部准教授)

    マーク・トウェイン没後100年にあたる2010年、彼の遺言に従った自伝完全版の第一巻が出版された。その自伝は「日記と歴史の融合」というそれまでに類を見ないような特殊な形式となっており、トウェインはそれを「価値ある特権」を有する形式と語っているが、トウェインによって書かれた、この世で最初の人間であるアダムとイヴの物語もまた、その同じ日記という形式が用いられている。

    「アダムの日記」(‘Extracts from Adam’s Diary’) が書かれたのは1893年、「イヴの日記」(‘Eve’s Diary’) はそのおよそ10年後、最愛の妻オリヴィアが亡くなった1904年に構想が練られ、その翌年の1905年に出版された。「アダムの日記」は当初、当時バッファローで開催されたワールド・フェアの土産物として販売された本に収録されたものであり、中に宣伝と思わしきものまでが含まれた、トウェイン本人も ‘It turned my stomach.’ と評するような作品に過ぎなかったことは否めない。しかしながら、のちに、まったく同じ出来事をもう一人の視点で描いた「イヴの日記」が出版されたことにより、それは、トウェインが描くhumanityが如実に現れる重要な作品へと生まれ変わることになる。

    最初の人間として創造され、禁断の実を食べて楽園を追われることになるこの二人に、そのとき一体何が起こっていたのか。とりわけ晩年には、『人間とは何か』(What Is Man?) などの作品を通じて人間観という問題に真正面から取り組んできたトウェインは、この二作にどのようなhumanityを描き込もうとしていたのか。本発表では、この「二人」によって書かれた「日記」に注目することで、彼の人間観の一端を探ってみたいと思う。

    3.  『あの夕陽』(1931)―洗濯女ナンシーの周縁で

    佐藤 秀一(佐野短期大学教授)

    この作品は、『エミリーへの薔薇』、『乾燥した九月』と並んでフォークナーの短編を代表する作品の一つで「ヨクナパトーファ群ジェファーソン町」という虚構空間を舞台にして因襲的なアメリカ南部にあって黒人洗濯女の絶望的なまでの苦悩と倨傲にして卑小化した白人社会の倫理的無力感が形象化されている。

    作品のヒロインともいうべき黒人洗濯女ナンシーは、ジーザスという歴とした夫がおりながら白人の男性と関係を結び、誰の子かもわからぬ子を宿してしまう。そしてその事実を、夫に向かって平然と公言する悪女として描かれている。だが、そこには誰にも頼ることのできない悲しい一抹が見出されるのである。彼女は、その事が原因で家出をした夫に、命をつけ狙われているという心理的恐怖の観念に苛まされることになるが、彼女は、そのような状態に堕した一人の被害者ともいうべきものであって、決して彼女自身の生来の気質に起因する問題ではない。寧ろナンシーがストレートに表出されるのではなく、逆の面が表出されることにより彼女を通して異常なまでの人間の悲哀感が作品を貫通していると云えるだろう。ナンシーを通して人間性の問題を描くことによりフォークナーの意図する根源が含蓄されていると考え得る。

    ナンシーが、夫ジーザスに殺されるという恐怖感の度合いが昴揚し、その絶頂にあるとき口に出す“I just a nigger. It ain’t no fault of mine”ということばに焦点を当て、彼女を取り巻く人々と彼女との関係を明らかにし、この言葉に込められたフォークナーの想像力の一端を考察しようとするものである。
    4.  スタインベックの『二十日ねずみと人間』におけるhumanity

    深沢 俊雄(聖徳大学教授)

    スタインベックの主要作品が全部で34作品あるうちで、ここで取り上げる『二十日ねずみと人間』(1937年)は、第6作目の中編作品です。全体が6章からなり、作品の舞台はスタインベックの故郷サリーナスの農場地帯です。主人公たちは農場を渡り歩いて生活しながらお金を蓄えて、将来は自分たちのささやかな農地を持ち、牛やニワトリや小動物(ウサギなど)を飼育してのびやかに暮らすことを夢見るジョージとレニーの二人です。

    そこでこの作品に登場する主人公たちと彼らを取り巻く周囲の人々の人間模様を通してこの作品にみるhumanity について探ってみたいと思います。

     

    ★6月例会・特別講演会(2013年6月22日)

     <6月例会>

    【司会】 文理学部教授 野呂 有子

    【研究発表】 『オセロー』における軍人の表象―主体構築と国家の関係から

    文理学部講師 藤木 智子

    本発表では、シェイクスピア (William Shakespeare) の『オセロー』(Othello) における「国家」(“the state”) とオセローの関係に焦点をあて、オセローが主体を構築する際に、国家と密接な関係が肝要である点について考察する。本劇は舞台がベニスからキプロス島へ移動すると、オセローの精神は破滅し、軍人としての主体構築が脆弱となる。そこには国家との関係性が強く影響している点に焦点をあてる。更に、貞潔な妻デズデモーナからの愛情もまた、オセローの軍人としての主体構築には必要不可欠である点も検証する。当時の有能な軍人としての必須条件を、16世紀の書物から引用し、オセローの持つ軍人の表象を論考する。

    <特別講演会>

    司会】 文理学部教授 野呂 有子

    演題】 シェイクスピアと『サー・トマス・モア』――もうひとつのプロット、もうひとつの夢

    東京大学大学院教授 大橋 洋一

     

    ★5月例会・特別講演会(2013年5月18日)

    【司会】 文理学部講師 岡田 善明

    【研究発表】

    1. A Masque presented at Ludlow Castle, 1634 における “charity” “chastity” 再考

    博士後期課程 2 年 桶田 由衣

    2. thinken vs. semen

    文理学部講師 齊藤 雄介

    <特別講演会>

    司会】 文理学部教授 高橋 利明

    【演題】

    Mouse Tales: How Stewart Little and Whitefoot Reflect Changes in Animal Narratives

    カンザス大学名誉教授 エリザベス ・ シュルツ

    【研究発表】

    <梗概>

    1. A Masque presented at Ludlow Castle, 1634 における “charity” “chastity” 再考

    博士後期課程 2 年 桶田 由衣

    仮面劇 A Masque presented at Ludlow Castle, 1634 (通称 Comus 以下 A Masque ) は、 Bridgewater 伯John Egerton の Wales 総督就任を祝うために、John Milton (1608-74) が Henry Lawes からの執筆依頼を受けて、創作されたものである。 A Masque は、1634年の Michaelmas (9月29日) に Shropshire の Ludlow 城において上演された。
    主人公 the Lady は、肉欲に耽る魔神 Comus の住む森の中で弟達と逸れる。森で迷う the Lady にComus が甘言を用いて自分の魔殿へと誘い込む。一方、姉を探す弟達の元に、 the Attendant Spirit が羊飼い Thyrsis として登場し、the Lady の危機的状況を伝え、弟達は Comus の魔殿へと急ぐ。しかしながら、the Lady は、弟達による救済のみでは完全には救われず、the Attendant Spirit に呼び出された川のニンフ Sabrina によって、完全に Comus の魔法から解放される。
    本発表では、the Lady を最終的に救済した Sabrina に着目し、Sabrina が象徴するものと、それが劇作品中でどのような効果をもたらすのかを考察する。先ず、 Sabrina が単なる川のニンフではなく、“charity” と “chastity” を寓意的に融合した、極めてキリスト教的な要素を帯びたニンフであることを論証する。そして、 “charity” と “chastity” を寓意的に融合した、キリスト教的要素を備わった Sabrina だからこそ、the Lady を Comus の魔法の椅子から「立ち上がらせる」ことができた点について考察する。

    2. thinken vs. semen

    文理学部講師 齊藤 雄介

    本発表では、中英語期に存在していた非人称動詞、thinken と semen を扱う。非人称動詞というのは、その節の中に主格の主語を必要としない動詞のことで、現代英語の時点では衰退している。本発表で扱う thinken と semen は、現代英語においては、 thinken が think、semen が seem にそれぞれ相当する。しかしながら、中英語期の thinken には seem の意味もあり、 semen と同じ意味を持っていたといえる。まずは、現代英語における両者を見てみよう。

    (1)* This diamond thinks real.
    (2)  This diamond seems real.

    上記の 2 つの文は現代英語の文であるが、当然 (1) の文は非文となる。現代英語の時点で、think は seem の意味を喪失しているからである。では、次に中英語期における両者の例を見てみよう。

    (3) and  elles  me        þink   þat   he  schuld  alweis  erre.
    and  also  for me  seems  that  he  should  always  err
    ‘and also it seems for me that he should always err’       (CMCLOUD,81.401)

    (4) Right so the synful man that loveth his synne, hym       semeth  that it is to him
    Truly so the sinful man that loves    his sin       for him     seems  that it is to him
    moost sweete  of  any thyng;
    most    sweet     of   anything
    ‘Truly the sinful man that loves his sin, the sin seems sweetest for him’                                                         (CMCTPARS,289.C2.59)

    上記の (3) (4) の文は、(3) が thinken、(4) が semen の例であり、いずれも後期中英語までは使用されていた、非人称用法である。これらの文を見れば、中英語期においては、 thinken にも seem の意味があったということがわかる。しかしながら、双方が同じ意味を持っていたからといって、それらの用法に差異がないとは考えにくい。
    そこで、本発表では、Penn-Helsinki Parsed Corpus of Middle English Second edition および、Middle English Dictionary を資料とし、両者の用法を観察、比較することで、その差異を考察する。

    4月例会(2013年4月20日)

    【司会】 保坂 道雄(文理学部教授)

    【研究発表】

    1.  Jane Austen, Emma における Miss Bates の存在

    宇野 邦子

    2. On the Linking Problem with the Dative Alternation: A View from Fine-gained Syntax

    田中 竹史(文理学部講師)

    【梗概】

    1. Jane Austen, Emma における Miss Bates の存在

    宇野 邦子

     Emma は、Jane Austen (1775 ~1817) の39才頃の作品である。20代前半の前期作品に比べて、30代後半の後期作品には、作者Austenのいっそうの成熟が見られるが、Emmaはその代表作となっている。美人で頭がよい21才のヒロインEmmaは、少し自信過剰であり、人の恋の世話ばかりしている。そしていつも失敗や誤解をして反省するのだが、それを繰り返すうちに精神的成長をしていくのである。
    すべてに恵まれているEmmaと、対照的に描かれているのがMiss Batesである。Miss Batesは、Austen作品中唯一の結婚歴のないシニア女性である。若くも美しくもないし、才気もなく金持でもない。裕福なEmmaと違い、乏しい収入を切り詰めながら、老母の世話に明け暮れている。そういう最悪の境遇にありながらも、びっくりするほど人気があり、周りの人々はみな彼女に対して好意を持っている。それはなぜだろうか。また、彼女は大変なお喋りで、本当につまらないことをいつも延々と話しまくり、ヒロインばかりでなく読者も、時にはうんざりさせる。 その内容のない長いせりふは何頁も続くのであるが、作者Austenは、Miss Batesになぜそんなに喋らせるのだろうか。ストーリーに直接関わりがないように見えるシニア独身女性のMiss Batesが、この作品に登場する意味を考察してみたい。

    2. On the Linking Problem with the Dative Alternation: A View from Fine-gained Synta

    文理学部講師  田中 竹史

    構文交替は動詞の項がどのような形式で現れるのかという項具現 (argument realization)・項の連結(argument linking) にとってその扱いが問題となるが、一般的にはPesetsky (1995) やArad (1996) などで議論されているように、精密統語論 (fine-grained syntax)、精密意味論 (fine-grained semantics)、多重語彙記載 (multiple lexical entries) という三つの解決法による可能性が追求されている。
    本発表では、与格交替に焦点を当て、この構文交替においては下記に示すような精密統語論に基づく分析が最も有効である事を確認する。

    (1)       a.      John sentv Maryj a booki [VP tj tv ti].
    b.      John sentv a booki [VP to Mary tv ti].

    ここでの主張は、「与格交替に関わる二つの構文は、項の表面的な配列は異なるものの、基底では着点項>主題項という項の配列を共有しており、実際に現れる語順の相違は統語派生の相違である」、というものである。
    この分析は、意味と形式の間の強い結び付きを維持しつつ、広い言語事実に対応可能であるという点で最も妥当である事を示したい。

    2013年度月例会

  • 2012年度月例会

    1月例会(2013年1月26日)

    [司会] 生産工学部教授 福島 昇

    [研究発表]

    1.博士後期課程1年 伊藤佐智子
    Paradise Lost
    から読むC. S. Lewis―Space Trilogyにおける「沈黙」の考察―

    2.文理学部助教 一條 祐哉
    身体的特徴を叙述するhave構文の意味論的考察
    [梗概]

    1.Paradise Lost から読むC. S. Lewis―Space Trilogyにおける「沈黙」の考察―
    伊藤佐智子(博士後期課程1年)

    1. S. Lewis (1898-1963) はJohn Milton (1608-74) のキリスト教観を高く評価し、共感を示す部分も多く、彼の児童文学作品Chronicles of Narnia (1950-56) の中には、ミルトン的主題を読み取ることが十分に可能である。また、Out of the Silent Planet (1938)、Perelandra (1943)、That Hideous Strength(1945)、この3作品はRansom Trilogy、あるいはSpace Trilogyと呼ばれ、『ナルニア国年代記』以前に描かれた作群であるが、各作品内には、Paradise Lostの引用、あるいは類似した場面がしばしば見られる。

    この三部作の第1巻の題名となっている“Silent Planet”というのは地球を指すものである。この第1巻において主人公Ransomは、他の惑星で地球が“Salcandra”、「沈黙の惑星」と呼ばれている事実とその理由を知る。それは、宇宙に存在する各惑星にはそれぞれその惑星を統べる「オヤルサ」と呼ばれる存在がいるが、地球のオヤルサだけが曲がったもの(bent one)となってしまい、他の惑星との交流が阻まれている、というものである。地球について、火星のオヤルサはランサムに「サルカンドラは私たちのあずかり知らない世界である。それだけは天界の外にあり、いかなるメッセージも伝わってこない」と話す。つまり、地球は唯一、惑星間の交流が遮断された状態にあり、それゆえに「沈黙の惑星」と呼ばれているのだ。

    何の発信もなく交流もない状態であるから「沈黙の惑星」というのは納得のいくものである。しかし、現代の地球を表現するのにあたって、C.S. Lewisが多くの言葉の中から “silent”という語を選択したことに注目したい。本発表ではParadise Lostにおける「沈黙」を手掛りに、Lewisの「沈黙」に込められた意味を考察する。

     

    2.身体的特徴を叙述するhave構文の意味論的考察
    一條 祐哉(文理学部助教)

    英語の have 構文(主語 + have + 目的語)の意味の1つに「全体−部分関係 (whole-part relation)」 というものがある。先行研究では、このタイプの例として(1)のような文を挙げ、主語が全体を表し、 目的語 がその一部分を表すと説明している。

    (1)          a. The tree has branches.
    b. John has a big nose.
    c. Mary has blue eyes.

    しかし、(1b)や(1c)の例から気づくと思われるが、主語が有生物の場合、たいてい 目的語の名詞の前に形容詞がつく。このことは、これらが(1a)のような物質的な全体−部分関係以上のものを表すことを示唆する。本発表では、(1b)や(1c)のようなhave 構文(主語 + have + 目的語(形容詞 + 名詞))を「身体的特徴のhave 構文」と呼び、目的語が身体的一部分というよりも、身体的特徴を表すことを 考察し、この構文は主語についての身体的特徴を叙述するという ものであるということを論じる。

     

    ★11月例会(2012年11月17日)

    [司会] 文理学部教授 當麻 一太郎

    [研究発表]

    1.  博士後期課程1年 尼子 充久
    『緋文字』のプロトタイプ ―「異化」されたドイツ宗教改革のコンテクスト―

    2. 文理学部講師 谷村   航
    主語の属性の責任とTough構文

    [梗概]

    1. 『緋文字』のプロトタイプ ―「異化」されたドイツ宗教改革のコンテクスト―
    尼子 充久(博士後期課程1年)

    本発表ではホーソーンがセイラムの図書館借りた本の記録から『緋文字』のプロトタイプを提示することにより以下の4つのテーマの答えを明らかにしていきます。

    • ヘスターの衝撃的な登場場面
      •ヘスターが緋文字を胸につけ続けながらも、最後まで悔い改めることのない理由
      •敬虔な牧師であるディムズデールが決して罪を告白しない理由
      •チリングワースがディムズデールこそがヘスターの姦通相手だと確信できた理由

    2. 主語の属性の責任とTough構文
    谷村   航(文理学部講師)

    本発表では、英語のTough構文における主語の属性の果たす責任とその属性認知について論じる。Tough構文( Tough construction )とは、[名詞]+[be動詞]+[形容詞]+[to不定詞]の統語形式を持った文のことをいう。

    (1) John is easy to please.

    Tough構文は、主語の属性を表すと言われている。

    (2) Joe is impossible to talk to because…
    a. he’s as stubborn as a mule.
    b. *he’s out of town.                                   [Tough構文]

    Joeと話せない理由として、(2a)のように「Joeが頑固である」と述べるのは自然であるが、(2b)のように「町にいないから」と述べるのは容認されない。その理由は、Tough構文は「主語の属性」を表しているので、主語の属性に言及してない(2b)は、Tough構文で表されている意味と衝突してしまうからである。しかし、中間構文( middle construction)と呼ばれる構文も主語の属性を表すと言われている。

    (3) a. This book reads easily.
    b. This knife cuts well.                                   [中間構文]

    Tough構文や中間構文も、その主語のもつ属性が文法の容認度に影響を与える。それでは、「責任 (responsibility)」とはどのような概念で、Tough構文と中間構文の主語の属性認知はどのように行われるのか。本発表では、Tough構文と中間構文の「主語の属性の責任」を比較することで、Tough構文の「主語の属性の責任」について考えてみたい。

    ★10月英語教育シンポジウム(2012年10月20日)

    [司会] 国際関係学部准教授 杉本 宏昭

    [テーマ] 「これからの言語教育の可能性を探る:
    国際関係学部におけるCEFRの実践と展望を例に」

    [発題者・梗概]

    1. 大学英語教育の現状と言語教育の可能性
    杉本 宏昭(国際関係学部准教授)

    近年、社会から大学への要求として「仕事で英語が使えるよう大学生を育成すること」が強く求められ、大学でも学生の将来を考慮し資格試験の得点アップを目指した授業、英語コミュニケーション科目の増設など、実践型英語教育が数多く実施されている。同時に、いわゆる「ゆとり教育」、入試の多様化、少子化などの理由により、基礎英語力が年々低下している。この相反する二つの状況に辻褄を合わせるべく、大学は習熟度別クラス編成や統一カリキュラムなどの対策を講じている。現場を担当する英語教員は、社会からの要請と現場の教室レベルのギャップの中で、毎日様々な悩みを抱えながら授業を実施し、またその中で、英語以前に日本語の再学習が学生には必要であると実感できることであろう。

    学部における言語教育全体に目を広げてみれば、各言語は独自性を保ち、独立した授業内容や評価規準をもうけているため、学生を中心とする言語教育を考える時、各言語間における共通項不足によって、複数言語を受講する学生たちにとって、各言語で学んだ内容を相互参照できずにいる。また評価に関しても規準が異なっているため、複数言語学習における統合した知識の構築に支障をきたしている。しかしながら今後の学部全体の言語教育を考えた場合、また何よりも学生たちの言語学習・習得を最優先に考えた場合、当然、各言語間における「共通項」を設けることによって、学生が複数言語を受講した場合でも、一つの言語が他の言語学習の参考となるような教育内容とシステム、ならびに言語間における共通した評価基準づくりが理想的である。

    本発表では、英語教育の現状の共有だけではなく、教科としての英語を越えて「言語」として、他言語や他教科とともに学部単位でこれからどのような言語教育が可能かを考察する。

    2. 日本の高等教育機関におけるCEFRの意味
    長嶺 宏作(国際関係学部助教)

    本発表では、日本の高等教育において質の保障が求められる中で、どのように多様な授業実践を維持しながらも、統一的な教育内容を作ることができるかについて、CEFRを事例にして考察したい。言語教育は、高等教育の質を保障しようとするときに、改革の対象となりやすい領域である。各語種にテストもあるため、形式的には特定のレベルを明示しやすい。しかし、表面上の統一は教育実践を形骸化させる可能性があり、どのように実質的な意味を持たせながら改革できるのかが問われている。そうした問題に対して、教育政策においては、新しい評価論やカリキュラム設計論が登場している。このような動向を踏まえて、CEFRの意味を考えていきたい。

    3. 国際関係学部におけるフランス語教育の現状と展望
    橋本 由紀子(国際関係学部助教)

    国際関係学部におけるフランス語カリキュラムは現在、文法中心の授業と、CEFR準拠の教科書を用いたコミュニケーション中心の授業という二本柱で構成されている。本発表では、現カリキュラムの中で実践されているフランス語授業へのCEFR適用の現状と展望を概観する。

    1年次の最初から全てフランス語で書かれた教科書を使用することは、一見困難が伴うように見えるが、ごく自然にフランス語という外国語世界に馴染むのに大きな効力を発揮している。フランス語を最初からフランス語として理解すること、受動的に学ぶのではなく、フランス語を用いて自分自身や周囲の事柄を能動的に表現すること、加えて具体的に何ができるようになったかが明示されるポートフォリオの活用も、学生自身の手応えに直結するものとなっている。現代の生活スタイルに合わせた実践的な言語能力とフランス文化に関する多様な情報の習得は、フランス語を選択した学生の動機とぴったり重なる。そこに生まれる成果は、外国語教育のあり方そのものに何らかの指針を与え得るものになると期待できる。

    4. 国際関係学部ドイツ語授業におけるCEFR型カリキュラムの実践
    眞道 杉(国際関係学部助教)

    2011年度の国際関係学部改組に伴い、語学教育においても新しいカリキュラムが導入された。それを受け、新しい学部において必要とされるドイツ語教育について検討した結果、就職や留学を視野に入れ、今まで以上にドイツ語の実践力をつける必要があること、また、就職、留学先において要求されるレベルと本学でのカリキュラムの互換性を高めるため、従来の文法・講読・コミュニケーションという3本立てのカリキュラムからCEFR基準の統一カリキュラムへと大きく舵を切ることになった。1年次前期にCEFRレベルA1、1年次後期にA2, 2年次にB1のCEFR型教材を導入し、本学部の授業がそのままドイツ留学の際のクラス分けや、日本でも導入されているCEFR型検定試験にも対応できるようにした。

    従来の日本における初級文法を1年次に履修するという枠が取り払われた結果、文法や文献講読の能力の低下など、例えば日本で作成されているドイツ語技能検定試験の成果が落ちるといった懸念材料の克服の取組についても報告する。現在までのところ、新カリキュラムにおけるドイツ語技能検定試験の結果は、その懸念を払拭するものとなった。

    発表では、CEFR教材を用いた新カリキュラムの実践と、現在までの検定試験の結果分析について報告する。

    5. 日本の大学英語教育の展望
    熊木 秀行(国際関係学部助教)

    平成15年に文部科学省(以下、MEXT)が『「英語が使える日本人」の育成のための行動計画』を発表した。その中には、大学に関する項目として以下の三つの側面が含まれている。1. 大学卒業時での能力設定、2. 入試、3. 大学英語教育の実践的研究。本発表では、以上の3項目に話を絞り、現状の問題解決と共に、大学英語教育のこれからにつき、一考察を加えたい。

    ★9月イギリス文学シンポジウム(2012年9月29日)

    [司会] 松山 博樹(文理学部講師)

    [テーマ] 「Shakespeareと現代」

    [発題者・梗概]

    1. ポストモダンにおける文学批評の位置とShakespeare
    板倉 亨(文理学部講師)

    本発表の目的は、全体的な視座から「シェイクスピアとは誰か」また「批評とは何か」という問題について再考する、あるいは再考するための土台を作ることにあります。
    まず、大雑把にではありますが、批評対象としてのシェイクスピア作品の特徴について、ジャンル、劇作品、評価の変遷などの観点から、概観します。
    次に、少し大きな視点で、受容理論の立場から、これまでの文学批評史を三段階に区切り、それぞれの時代における批評の役割とその変遷について考察します。
    そして最後に、これら二つの議論を踏まえ、具体例としてシェイクスピアの『十二夜』を取り上げてそれを批評しながら、ポストモダンと呼ばれる現代における、シェイクスピア作品を批評する意味について、また、批評という行為自体の意味とその可能性について、テクストの言葉そのものに注意を払いながら考察したい。

     

    2. RichardⅢに見る時代精神―中世・ルネサンス・近代・現代―
    松山 博樹(文理学部講師)

    Shakespeare作品を現代批評から考察する第一発表者の論を受け、本発表では以下について論じる。①Shakespeareの作品RichardⅢにおける王位を巡る問題が個人と社会の問題と表裏一体の関係にあるということ、②それゆえにこの作品自体、あるいはそれを巡る様々な批評・評価を分析することで、それぞれの時代の社会を逆に照らし出すことができるのではないかということ、③そこに見られる批評・評価の大きな揺れには、それぞれの時代の多様な精神が反映されており、この作品には各時代の受容に対応しうる多様性が備わっているのはもちろんのこと、現代にまで通じる普遍的な人間心理の問題も横たわっててるということ。
    最後に現代における各国の劇作家、批評理論家からのRichardⅢへの応答例について考察し、より現在的視点から論じる第三発表者へと後を継ぎたい。

     

    3. 『マクベス』と戦争―黒澤明『蜘蛛巣城』とポランスキー『マクベス』
    亦部 美希(文理学部講師)

    20世紀を代表する映画監督黒澤明とポランスキーが、マクベス劇と戦争をどのように捉え直そうとしているかを、比較考察する。
    黒澤が『蜘蛛巣城』で戦時中の神風説を、マクベス劇の妖婆の予言「森が動かない限りマクベスは負けない」のメタファーとして使っていることを論じる。さらに、劇と違い、予言に惑わされた鷲津マクベスが自軍の兵士達に殺される場面で、劇のマクダフ子息の、少数派は多数派に適わないという台詞の趣旨を表現して、妄執を民衆の団結が挫く理想を、黒澤が訴えていることを論じる。
    ポランスキーは、自分が見たナチス軍人が戦争の恐怖からする攻撃的な態度を、映画『マクベス』のマクダフ城の攻め手の様子の中に描いている。このように、劇のマクベスが、自分は敗戦しないという魔女の予言を信じながら、恐怖の為、マクダフ殺しを決意する筋の趣旨を強調していることを論じる。さらに、迫害者が多数派になって、何もかも失う裸の人が増えていく戦争の因果関係を、映画が表現していることを分析する。

     

    ★6月例会・特別講演会(2012年6月23日)

    <6月例会>

    [司会] 黒滝 真理子(法学部准教授)

    [研究発表]

    博士後期課程3年  小澤 賢司
    Modal BE- ING 構文に関する一考察

    [梗概]

    Modal BE- ING 構文に関する一考察

    小澤 賢司(博士後期課程3年)

    本発表の目的は、Modal BE -ING構文における意味的特徴を考察することである。この構文でもっぱら注目されるのは、未来進行形といわれるWill BE -ING構文であるが、もう少し範囲をひろげて、MayやMight、Should、MustとBE -INGの関係性も考察していく。もちろんModalの中にはWillも含まれるが、Willと上記の法助動詞を区別するため、本発表におけるModalはMayやMight、Should、Mustを指すものとする。したがって、Will BE -INGとModal BE –INGの2つの構文を別に扱う。

    <特別講演会>

    [司会] 吉良 文孝(文理学部教授)

    [演題]  英語語法研究から語法学研究へ

    [講演者] 柏野 健次(大阪樟蔭女子大学名誉教授)
    ★5月例会(2012年5月19日)

    [司会] 文理学部准教授 閑田 朋子

    [研究発表]

    1.博士後期課程3年   大前 義幸
    ディケンズ的ペイソス再考―『骨董屋』のネルの死をめぐって

    2.文理学部講師  齊藤 雄介
    近代英語における非人称用法 methinks

    [梗概]

    1. ディケンズ的ペイソス再考―『骨董屋』のネルの死をめぐって

    大前 義幸(博士後期課程3年)

    本論の目的は、19世紀を代表するイギリスの小説家であるチャールズ・ディケンズ(Charles Dickens、1812-1870)の小説研究であり、特に彼の作品であるThe Old Curiosity Shop(1840-1)の主人公ネルの死をめぐって、作者ディケンズのペイソスを中心に考察することである。この作品は、彼の初期作品にあたり、Oliver Twist(1837-39)完成からわずか1年足らずで執筆された作品である。しかも読者にとって、ネルの死は全国民に涙を絞るばかりの喪に服させた作品でもあった。しかし、この作品が終幕へと進み始めると、読者たちは「もしかして、ネルは死ぬのでは」と気づき、作者ディケンズに「ネルを殺さないでくれ」と嘆願書まで送ったのである。しかし、そのかいなく読者の期待を裏切り、ネルは長い眠りへと就いてしまった。そして全国民は涙を流すのだが、ここで注目しなければいけないことは、「本当にネルの死で涙を誘ったのか」ということである。伝記作家アンガス・ウィルソン以降の評価は、ネルの死の場面に対しあまり良い評価を下していないのである。それならば、再度ディケンズ的ペイソスを考察する必要があるのではないだろうか。

    2. 近代英語における非人称用法 methinks

    齊藤 雄介(文理学部講師)

    本発表では、近代英語期に存在した非人称用法、methinksを扱う。methinksはit seems to meの意味で使用されており、(1)のような例がある。

    (1)  and  elles  me     þink   þat   he  schuld  alweis  erre.
    and  also   to me  seems  that  he  should  always  err
    ‘and also it seems to me that he should always err’       (CMCLOUD,81.401)

    (1)にあるþinkのように、その節の中に主語を用いない用法を非人称用法という。このような用法は、Van Der Gaaf (1904)やJespersen (1927)をはじめとする多くの先行研究によれば、屈折語尾の消失と語順の固定により、中英語期の後期には衰退したといわれている。現に、(1)の例も中英語期の使用例である。しかしながら、近代英語期の文学作品においても、非人称用法は使用されている。

    (2) Methinks I see my father                            (Shakespeare, Hamlet 1.2)

    (2)の例は、初期近代英語期を代表する劇作家、William ShakespeareのHamletから引用した一説であるが、Methinksという非人称用法が使用されている。また、OEDには、以下のような近代英語期におけるmethinksの用例が見られる。(下線部発表者)

    1599 Shakes. Much Ado iii. ii. 16 Methinkes you are sadder.    1661 Marvell Corr. Wks. (Grosart) II. 76 ‘Tis methinks an unpleasant business.    1711 Steele Spect. No. 6 ⁋5 Respect to all kind of Superiours is founded methinks upon Instinct.    1762–71 H. Walpole Vertue’s Anecd. Paint. (1786) IV. 281 Methinks a strait canal is as rational at least as a mæandring bridge.    1863 Hawthorne Our Old Home (1879) 119 Methinks a person of delicate individuality‥could never endure to lie buried near Shakespeare. 1871 R. Ellis tr. Catullus xciii. 1 Lightly methinks I reck if Caesar smile not upon me.

    上記の記述から、methinksは近代英語期も末期となる1871年まで使用されていたことがわかる。そこで、本発表では、近代英語期までmethinksという非人称用法が残存していた要因について考察することを目的とする。Penn- Helsinki Parsed Corpus of Early Modern Englishを資料として、そのデータを観察、分析する。

    4月例会(201 2年4月21日)

    [司会] 東京都市大学教授 遠藤 幸子

    [研究発表]

    1. 博士後期課程3年 宇野 邦子
    Jane Austen, Mansfield Park におけるシニア三姉妹

    2. 文理学部講師 佐藤 健児
    進行形の「前段階性」に関する一考察

    [梗概]

    1. Jane Austen, Mansfield Park におけるシニア三姉妹

    博士後期課程3年 宇野 邦子(博士後期課程3年)

    Jane Austenの後期最初の作品Mansfield Parkの中の、ヒロインの2人の伯母と母親のシニア三姉妹を取り上げる。前回の発表では、Austen前期3作品の中からシニア女性を1人ずつ取り上げ、20代前半の若い作者が、それぞれの物語の中でシニア女性をどのように描いているかを考察した。今回の発表では、30代後半になった作者はMansfield Parkの中の三姉妹をそれぞれどのように描き、どのような役目を課しているか、そして彼女たちにどのような想いを託しているかを考察する。またヒロインの観察眼を通して、2人の伯母と母親はどの位置でヒロインと関わり、物語の展開にどう貢献しているか、3人の女性を比較しながら見ていく。さらに、シニア女性に対する作者の見方や描き方は、若い時の作品に比べてどのように変化しているか、という点にも目を留めてみたい。
    美人三姉妹の次女(Lady Bertram)は玉の輿に乗って、僅かな持参金で、NorthamptonのMansfield ParkのSir Thomas Bertramと結婚し、准男爵夫人となった。6年後、長女(Mrs. Norris)は、義弟Sir Thomasの友人で殆ど自分の財産を持たない牧師Rev. Mr. Norrisと結婚したが、幸いにもSir Thomasが友人にMansfieldの牧師禄を与えることができ、Norris夫妻は安定した収入で幸福な結婚生活を始めた。三女(Mrs. Price)は、教育・財産・縁者のない海兵隊の一中尉と、家名を汚す無分別な結婚を強行した。そのため姉妹間には亀裂が生じ、その後11年間互いに音信不通だった。しかし12年目になって、Mrs. Priceは生活が困っている上に9人目のお産の準備をしていたので、姉達に手紙を書き、援助を求めた。 「私達の間でPrice家の長女の世話を引き受けてみてはどうかしら?」というMrs. Norrisの思いつきで、ヒロインFanny Priceは10才の時、PortsmouthからMansfield Parkに引き取られて来た。そこにはきつい伯母とものぐさな伯母がいた。
    Mrs. Norris ―― 姪を引き取ることは提案したものの、その娘の扶養にびた一文も金を出す気はなく、預かるのは自分ではなくMansfield Parkなのだった。事を運び、話をし、計画を立てたりすれば、それでもう自分は善意の人で、充分に慈善を施した寛大な心の持主なのだと信じて疑わない。内気なFannyは幼い頃からこの伯母にいじめられ、叱られ、恩をきせられ、嫌みを言われ、こき使われ、差別扱いをされて育つ。近くに住み、いつもMansfield Parkに出入りしている。Bertram家のために役立っていると信じて余計なお節介をし、万事をとりしきろうとして、問題を引き起こす。Fannyを厄介者扱いするくせに、自分はMansfield Parkの寄生虫であることに気づかない。Mrs. NorrisはAustenの作品中最も嫌みな悪女と言われ、余りに弱い者いじめをするので、読者を不愉快にさせるほどである。

     

    2. 進行形の「前段階性」に関する一考察

    佐藤 健児(文理学部講師)

    従来、英語の進行形は「進行中の出来事」を表し、個々の動詞のアスペクト特性に応じて「一時性」や「未完了性」を表すとされてきた(cf. Quirk et al.(1985);Leech(20043))。
    本発表では、英語の進行形にはこれらの意味特徴に加え、「前段階」を保証する機能が備わっていることを指摘する。さらに、このような意味的(語用論的)機能が英語未来表現(be going to / be -ing / will be -ing)や進行命令文、過去進行形の特殊用法、さらには瞬間動詞の振る舞いを説明する上で重要な概念であることを主張する。

    2012年度月例会

  • 2011年度月例会

    1月例会(201 2年1月21日)

    [司会] 文理学部准教授 閑田 朋子

    [研究発表]

    1. 博士後期課程3年 谷村 航
    Tough構文の認知的考察

    2. 東北女子大学専任講師 杉本 久美子
    Where Angels Fear to Tread
    論-二つの死と「和解」のミルク-

    [梗概]

    1. Tough構文の認知的考察

    谷村 航(博士後期課程3年)

    本発表では、英語のTough構文について認知言語学の視点から考察していく。Tough構文とは通例、[ NP + be + AdjP + to do]という文法形式を示す文のことである。

    (1)   John is easy to please.

    Tough構文の特徴は、大まかに述べると、次の2点である。①Tough構文に生じる形容詞は、難易度を表すもの(easy, difficult etc.)や快・不快を表すもの(pleasant, terrible etc.)である。②Tough構文のto不定詞内に生じる動詞は、基本的には、他動詞であるが、その直後は空所でなければならない。そして、Tough構文の主語がto不定詞内の他動詞の目的語と解釈される。

    このようなTough構文の特異な特徴を捉えるために、Tough構文と関連するいくつかの類似構文からの派生によって、Tough構文を分析する試みが、特に生成文法でさかんに行われてきた。

    (2)   a. To please John is easy. [文主語、基底構造]

    b. It is easy to please John. [形式主語構文、中間構造]

    c. John is easy to please. [Tough構文、派生形]

    しかし、構造や派生方法の研究では捉えきれない言語事実が指摘されてきた。その1つは、Tough構文ではimpossibleが生じることができるが、possibleは生じないというものである。

    (3)  a. John is impossible to please.

    b. *John is possible to please.

    例文(3)は両文ともに、[NP + be + AdjP + to do]の文法形式をしている。それにも関わらず、文法性に関して差が出るということは、原因は、構造や派生方法にあるのではなく、意味にあると考えられる。本発表では、認知言語学に視点から、Tough構文の「意味」に接近し、構文的特徴を明らかにし、それを踏まえることで、Tough構文における、possible vs. impossibleの対立を説明することを目標とする。

     

    2. Where Angels Fear to Tread 論-二つの死と「和解」のミルク-

    杉本 久美子(東北女子大学専任講師)

    本発表では、E. M. Forster(1879-1970)のWhere Angels Fear to Tread (1905)で描かれる2つの死に注目し、その死が導く「和解」の場面について考察する。
    Where Angels Fear to Tread
    は、Forsterにとって最初の長編小説であり、伝記的要素の強い作品でもある。この作品はLilia Herritonの再婚にまつわる騒動と、騒動を通して成長する主人公Philipの話であり、Liliaはこれまで「上品さに欠ける浅はかな女」として捉えられ、彼女と彼女の赤ん坊の死は悲劇的要素と解されてきた。しかし、作品におけるLiliaの役割は多彩である。本研究では作品におけるLiliaの役割を再考すると共に、彼女と赤ん坊の2つの死と、この死によって導かれる「和解」の場面について考察したい。

     

    11月例会(2011年11月19日)

    [司会] 文理学部講師 岡田 善明

    [研究発表]

    1.博士後期課程2年 大前 義幸
      Great ExpectationsWuthering Heightsにおける語りの特質

    2.文理学部講師 田中 竹史
    Two Types of NP-PP Frames :
    The Case of Dative and Benefactive Verbs

    [梗概]

    1.Great ExpectationsWuthering Heightsにおける語りの特質

    大前 義幸(博士後期課程2年)

    本発表では、1860年から翌年までチャールズ・ディケンズが編集長を勤める週刊誌『オール・ザ・イヤー・ラウンド』連載されていたGreat Expectationsと、1847にブロンテ姉妹の妹エミリー・ブロンテが執筆したWuthering Heightsを取り上げ両作品における語りの特質について考察を試みたいと思う。そもそも小説における語りとは、作者が物語を考える時に必然とするものであり、語りの存在が無くては登場人物を描くこともできないのである。また、我々読者が語りの証言を真実と捉え、語りを信頼しながら物語を読み進めていくが、もし、その言葉に信憑性が生じていたならば幾分か異なる解釈に変わるのではないだろうか。

    よって、本発表では、両作品に共通する一人称小説で過去を回想する「語り」に注目し、語りの信頼性と信憑性、語りの構造を分析し、登場人物の異なる一面を考察していきたい。

     

    2.Two Types of NP-PP Frames :
    The Case of Dative and Benefactive Verbs

    田中 竹史(文理学部講師)

    与格動詞と受益動詞は、共にNP-PPという項具現形式を持つが、PPの主要部には与格動詞の場合にはtoが、受益動詞の場合にはforが現れる。本発表ではこの様な前置詞の相違が統語構造上どの様に反映されるのかに付いて議論する。

    (1)    a.  John gave a book to Tom.
    b.  John bought a book for Tom.

    具体的な主張は次の通りである: to-PPは項でありVP指定部に生起するのに対して、for-PPは付加詞でありvP付加位置に生じる。

    (2)    a.  to-PP             [ʋP [NP Agent] …[VP [PP Goal] [V’ V [NP Theme]]]]

    b.  for-PP            [ʋP [ʋP [NP Agent] …[VP V [NP Theme]]] [PP Benefactive]]

    この分析により、(i) 反復副詞againの繰り返し読みと回復読みにおける相違、(ii) do-so 照応やVP削除などにおける残余要素、(iii) PP省略の可能性、(iv) 目的語NPからPPへの束縛可能性、などの言語現象が自然に捉えられると議論する。また、提示された分析は、Jackendoff (1990) やNisbet (2005) など語彙意味論による当該動詞類の分析と矛盾しない事にも触れる。

    10月英語学シンポジウム(2011年10月22日)

    [司会] 文理学部教授 塚本 聡

    [テーマ] What can we see through corpora ?-コーパスから観たHAVEの諸相-

    [発題者]

    1.have完了形の通時的変遷

    秋葉 倫史(文理学部講師)

    現代英語(PE)のhave完了形は古英語(OE)の(1)のような構文から発達したと考えられている。

    (1) … þa þa ge hiene gebundenne hæfdon
    … then when you him bound had
    ‘… then when you had bound him / had him in the state of being bound’
    (Or 6 37. 296.21, Traugott(1992: 190))

    (1)は、hæfdon ‘have’が所有の意味の本動詞で対格目的語hieneをとり、過去分詞gebundenneがその目的語を修飾する構文である。その後、haveの本動詞の意味が希薄化し、語順の変化も伴い、助動詞として再分析され完了形となる。
    本発表では、通時的コーパスを用いて、完了形の発達についてOEから初期近代英語(EModE)までのデータの変遷を示し、完了形の用法が確立した時期を数値的に判断することを目的としている。具体的には、各時代において‘have’全体の使用頻度のうち完了形として用いられる割合を調査し、最終的には、完了形が確立しているPEとの数値を比較することで、完了形の成立時期を検討する。
    検証には、OE、中英語(ME)、EModEの各時代のコーパスを使用する。OEはThe York-Toronto-Helsinki Parsed Corpus of Old English Prose(YCOE)を、MEはPenn-Helsinki Parsed Corpus of Middle English Second edition(PPCME2)を、EModEはPenn-Helsinki Parsed Corpus of Early Modern English(PPCEME)を用いて、完了形の通時的変遷とその確立時期を明らかにする。
    2.現代英語のhaveの諸相-コロケーションの観点から -

    久井田 直之(文理学部講師)

    従来、用法の多い語の研究でコーパスを用いる場合は、特定の用法に限定して分析したものが多い。これは、コーパスの検索方法等の問題があるためであると推測される。たとえば、用法を限定しない場合は、多くの不要なデータが含まれてしまい、正確な情報を得ることが難しくなることがある。しかし、時間をかけて、可能な限りのデータを精査することで、この問題の解決は可能であり、多くの用法を持つ現代英語のhaveにおいては、コロケーションに注目して分析することで、コーパスを有効に活用できると発表者は考える。

    本発表では、現代英語のhaveのコロケーション、すなわち[ ______ have ]や[ have ______ ] を量的・質的アプローチで分析し、現代英語のhaveの用法を明らかにする。特に、have difficultyのような目的語の位置に現れる名詞に注目し、その特徴をCOCA( Corpus of Contemporary American English) を用いて考察する。

     

    3.現代英語の「特徴」を表すhave所有構文

    一條 祐哉(文理学部助教)

    現代英語のNP1 + have + NP2の文(以下、have所有構文)の持つ様々な意味のうち、英語学の分野では、従来、(1a)のような例を、NP1が全体を表し、NP2がその一部分を表しているので、「全体-部分」を表すタイプとして分類されてきた。しかし、このタイプの様々な例を観察すると、その多くはNP2の直前に特異性を表す形容詞が用いられる。どうやら(1a)のタイプは単に物理的な全体と一部分の関係を表すというよりも、特異なNP2を有していることによるNP1の特徴、属性を表していると考えられる。そして実際、英和辞典などでは(1a)のタイプは、属性、性質などを表す(1b)のようなタイプと同じカテゴリーに分類されている。つまり(1a)のタイプは「全体-部分」の形を借りながら、意味的には「特徴」を表している。

    (1)         a. She has blue eyes.
    b. She has talent.

    また、(1a)ではスル的言語の英語として他動詞haveが用いられているが、これをナル的言語の日本語に訳すと、(2a)のようになる。したがって、(2a)をもとに日本人の英語学習者がナル的言語感覚で英訳しようとすると、be動詞文を用いて(2b)のようにしてしまいがちである。

    (2)         a. 彼女は目が青い。/彼女の目は青い。/彼女は青い目をしている。
    b. Her eyes are blue.

    本発表では、まずこの「特徴」を表すhave所有構文にどのような形容詞が用いられるのか、そして(2b)のようなbe動詞文の場合とどのような相違点があるのかをBNC(British National Corpus)を用いて考察する。

     

    ★9月アメリカ文学シンポジウム(2011年9月 24日)

    [司会] 作新学院大学准教授 原田 明子

    [テーマ] “Whiteness”の天使たち

    [発題者]

    1.whitenessの陰影―女性・奴隷・身体性

    原田 明子(作新学院大学准教授)

    今回のシンポジウムは、奴隷制度下のアメリカを席巻していたwhitenessの文化が女性をめぐってどのように展開されてきたかを、HeneghanのWhitewashing Americaを下敷きに、19世紀、20世紀のアメリカ小説を通じて考察しようとするものである。

    原田の報告では、表象としてのwhitenessがアンテベラムのアメリカ文学において、どのようなジェンダーの問題を喚起しているかを、StoweのUncle Tom’s Cabin(1852)、Melvilleの”The Tartarus of Maids”(1855)に焦点を当てて考察する。

    当時の奴隷解放運動の中で、白人女性たちは社会的に抑圧された存在として、自らの立場を奴隷になぞらえたり、母親としての立場から、女性の奴隷に対して人種を越えた共感を抱いたりすることが多くあった。また社会的弱者であった女性と奴隷は、両者ともしばしばその身体性に注目して語られるという傾向があった。

    このような社会的背景にも目を向けながら、『アンクル・トム』においてはdomesticityの問題や登場人物Evaの描写、「乙女たちの地獄」においては女工たちの描写に注目して、whitenessとジェンダーの様相を見て行きたい。

     

    2.Little Women における“whiteness”

    長島 万里世(文理学部講師)

    Louisa May Alcott(1832-88)の半自叙伝作品である Little Women(1868, 『若草物語』)は19世紀の古き良きニューイングランドの家庭の雛型として捉えられてきた。しかし、モデルとなったAlcott家は決して19世紀の一般的な家庭とは言えない。『若草物語』の中では Amy として登場している四女のAbigail May Alcott Nierikerも 父Amos Bronson Alcott やLouisa と同様に芸術家として活躍していたのだ。彼女は作品中の Amy と同じく芸術に長け、ワシントン D. C のリンカーン像をはじめ多くの彫刻を遺したことで有名なDaniel Chester French の師として多くのアメリカ人に親しまれているようだ。Alcott家ではwhiteness 礼賛から派生した「家庭の天使」という理想の女性像が女性たちに押し付けられていた時代に、四姉妹のうち二人が後世に名を遺す人物になっているのである。

    本発表ではこの事実に着目し、Alcott家の半自叙伝である第1部を中心に、ジェンダーにおけるwhitenessの視点から、社会から逸脱した家庭がなぜ社会に王道として受け入れられたのかを考察していく。

     

    3.The Bluest Eye における白さ

    茂木 健幸(文理学部講師)

    Toni Morrisonの処女作であるThe Bluest Eye(1970)では、アフリカ系アメリカ人の少女クローディアの声によって、彼女たちの住む世界が生き生きと語られる。そして、その語りの中心に位置するのはクローディアの年上の友人ピコーラ・ブリードラブが狂気へと至る過程である。本発表では、Morrisonが白さをどのように描き、扱っているのかを、白さのイメジャリーを分析しつつ考察する。

    アメリカ社会において、白さは美しさや愛らしさ、無垢や豊かさなど様々な価値と結びつている。しかし、幼いクローディアを混乱させる「攻撃的な同衾者」でしかない両親からのプレゼントの白人の人形、ピコーラが追い出されるその母親の働く大きな白い家や白人の少女など、Morrisonは作品において白さを暴力と共に登場させることを選んでいる。排除される黒い存在こそが、白さの価値を支える。自らを拒絶する白さへの憧れというアフリカ系アメリカ人全体のジレンマがピコーラの黒く小さな身体の上に集中し、彼女を破滅させる。白さに潜む暴力を作品は暴こうとする。

     

    ★6月例会・特別講演会(2011年6月11日)

    <6月例会>

    [司会]文理学部教授 野呂 有子

    [研究発表]

    文理学部講師  上滝 圭介
    Paradise Lost
    試論―gatesに関する一考察―

    [梗概]

    Paradise Lost試論―gatesに関する一考察―

    上滝 圭介(文理学部講師)

    John Milton (1608-74)のParadise Lost (1667)の舞台はheaven、hell、paradise(the garden of Eden, the earth)の主に3つである。物語はGenesisの天地創造神話に基づいており、宇宙の上方にheaven、下方にhell、中心にはparadiseが造られてから、God一派とSatan一派の相克や、AdamとEveの誕生から平穏な日常から、その後のSatanの謀りに起因する葛藤と堕落までが描かれる。詩行に度々gate(-s)の語が登場するのだが、例えば、paradiseからheavenには“steps of gold to heaven gate” (iii 541)が延びている。またhellには “Our prison strong, this huge convex of fire, / Outrageous to devour, immures us round / Nine fold, and gates of burning adamant / Barred over us prohibit all egress”   (ii 434-7)や “Within the gates of hell sat Sin and Death” (x 230)に代表される不気味なgatesが頭上にそびえる。そして最終場面では禁忌を犯したAdamとEveは燃えさかる“the eastern gate” (xii 638)を抜け、足取り重くparadiseを後にする。ところで、gateがあるということは、そこに道(way, road, passage)らしきものがあり、何かしらの境界(bound, abyss)があるといえるのではないだろうか。とすると、作家は明確な意図をもって、隣接する2つの空間の隔たりや相違が際立つように、gatesを要所に配置したと想定できないだろうか。本発表では、作中のgatesのイメージや、その単数形・複数形の使い分けなどを手掛かりに、heaven、hell、paradise の3つのgatesの用法について分析を試みる。
    <特別講演会>

    [司会] 原  公章(文理学部教授)

    [演題]  異界の語り手― 一人称小説の可能性―

    [講演者] 廣野 由美子(京都大学大学院教授)

    メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』や、ジョージ・エリオットの「引き上げられたヴェール」、さらにはフィールディングやアンナ・シューエルの作品などにも触れながら、語り手が怪物、超能力者、死者、動物などの場合を例として、一人称小説の語りの技法についてお話しいただ きました。

     

    ★5月例会(2011年5月14日)

    [司会]文理学部准教授 飯田 啓治朗

    [研究発表]

    1. 博士後期課程3年 齊藤 雄介
    中英語における非人称動詞の衰退に関する一考察

    2. 文理学部講師 野村 宗央
    Paradise Lost論 ―「悪」の性質に関する一考察―

    [梗概]

    1. 中英語における非人称動詞の衰退に関する一考察

    齊藤 雄介(博士後期課程3年)

    本発表のタイトルは「中英語における非人称動詞の衰退に関する一考察」である。非人称動詞とは、主語が省略されているのではなく、その節の中に主語を必要としない動詞のことである。

    (1)  hēr sniwde
       here snowed
    ‘it snowed here’

    (2)  mē     ðyncð   betre
    to-me   seems  better
    ‘it seems better to me’

    上記のような動詞が非人称動詞である。しかし、このような動詞は、中英語期の終わりにはほとんど消失してしまっており、その要因は、多くの先行研究によれば、主に中英語の末期に起こった格変化の消失と語順の固定といわれている。

    前年度の発表では、先行研究とPenn- Helsinki Parsed Corpus of Middle English Second edition(以下PPCME2)のデータを比較することによって、それらの食い違いを指摘した。そこで、今年度は非人称動詞の衰退の原因を、格変化の消失と語順の固定以外のところに求める。本発表では衰退の一因としてraisingを取り上げる。  raisingというのは下記のような文法操作のことである。

    (3) It seems [t to be raining]

    上記の文のようにto不定詞節中の主語を主節の主語位置へと繰り上げることをraisingという。本発表ではこのraisingが非人称動詞の衰退を引き起こした一因であると考え、PPCME2のデータを考察、分析する。

    ≪参考文献≫

    橋本 功 (2005)  「英語史入門」 慶応義塾大学出版会
    Jespersen, O. (1909-49) A Modern English Grammar on Historical Principles, 7 Vols. (Repr. London, 1961.) Carl Winters Universitatsbuchhandlung, Heidelberg/Ejnar Munksgaard, Copenhagen.

     

    1. Paradise Lost論 ―「悪」の性質に関する一考察―

    野村 宗央(文理学部講師)

    17世紀英国の詩人John Milton(1608-74)のParadise Lost(1667)は、Old TestamentのGen.を主な題材とした叙事詩であり、英雄Adam、及びその妻Eveの、神に対する不従順による堕落から悔い改めまでを詠っている。そして、AdamとEveの堕落の直接的な原因となったものは、神によって食べることを禁じられた “the tree of knowledge of good and evil” の果実である。AdamとEveは、これを食べることによって堕落し、全くの「善」の状態から「悪」を知った状態へとなった。
    本発表の目的は、Paradise Lostにおける「悪」、とりわけ “evil” の性質に焦点を当て、それが何を意味しているのか、そして物語においてどのように作用しているのかを検討することである。例えば、C.S. Lewis(1898-1963)は、Aurelius Augustinus(354-430)の説とParadise Lostにおける堕落の物語との類似性を指摘し、「悪という言葉」は「善の欠如」を示しており、「悪と呼ばれるもの」は「善が堕落したもの」である、というように本作における「悪」の本質的な意味を、“good and evil” の関係性から説明しているが、本発表では、このLewisの考えを敷衍し、特に “evil” と、“pain” や“woe”、“wound”、“pang” といった、主に「痛み」や「苦痛」を表す言葉との関連性に注目し、それらが本作においてどのような役割を担うかを考察する。

     

    ★4月例会(2011年4月16日)

    [司会] 桜美林大学教授 山岡 洋

    [研究発表]

    1. 博士後期課程2年 宇野 邦子
    Jane Austen の小説におけるシニア女性の役割
    -前期作品を中心に-

    2. 博士後期課程2年 小澤 賢司
    条件節における法助動詞の生起に関する一考察
    -認識的法性を表す助動詞の主観性/客観性の分析と共に-
    [梗概]

    1. Jane Austen の小説におけるシニア女性の役割
      -前期作品を中心に-

    宇野 邦子(博士後期課程2年)

    Jane Austenの前期の3作品、Northanger Abbey, Sense and Sensibility, Pride and Prejudice からそれぞれ1人ずつシニア女性を取り上げます。 20代前半の若い作家が、それぞれの物語の中で、シニア女性をどのように描き、どのような役目を課しているか、そして彼女たちにどのような想いを託したのか、3人の女性を比較しながら見ていきます。

    Northanger Abbey ―― Mrs. Allen

    ヒロインCatherineのシャペロン役のMrs. Allenなのだが、美しく装うことだけに関心があり世話役としてはあまり頼りにならない。そのため、うぶで世間知らずのヒロインは、何かにけ自分で判断しなければならないという困難に直面する。

    Sense and Sensibility ―― Mrs. Jennings

    裕福な未亡人で、誰彼かまわず他人の結婚を取りもつ以外にすることがない。知り合いのあらゆる若い男女に結婚話を持ちかける機会があれば、決して逃さないという世話好きな女性で、ヒロインのElinorとMarianne姉妹は何かにつけてかき回される。

    Pride and Prejudice ―― Mrs. Bennet

    5人の娘を持つ母親で、娘たちを少しでも条件の良い男性と結婚させることを、生涯の仕事としている。しかし自分がその障害となっていることに気づいていない。礼儀知らずで愚行を重ねる母親に、ヒロインで次女のElizabethは、何度も恥ずかしい目に合う。

     

    1. 条件節における法助動詞の生起に関する一考察
      -認識的法性を表す助動詞の主観性/客観性の分析と共に-

    小澤 賢司(博士後期課程2年)

    本発表の目的は、認識的法性(epistemic modality)を表す法助動詞(modals)における主観性・客観性とは何かということを再分析し、その上で、条件文If A, then B.の条件節If A内における法助動詞、その中でも特にwillの生起問題を統一的に説明することである。
    通常、条件節If A内に法助動詞willが生じている文は、容認不可能であるとされる。

    (1) *If he’ll be better tomorrow, he’ll go to the show.
    (Dancygier and Sweetser 2005: 83)

    しかしながら、次の(2)のように法助動詞willが条件節内に現れる例は数多く散見される。

    (2) a. If it will make you happier (as a result), I’ll stop smoking. (江川 19913: 212)
    b. If Ann won’t be here on Thursday, we’d better cancel the meeting.
    (Swan 20053: 237)
    c. If the price will come down in a few months, it’s better not to buy just yet.
    (Salkie 2010: 203)

    この問題に関しては多数の議論がなされているが、本論では、認識的法性の主観性・客観性という観点からこの問題の解決を試みる。しかし、Lyons(1977)の言う主観性・客観性ではうまくとらえ切れない例がある。そこで、Lyons(1977)の主観性・客観性を修正し、それによって、条件節内における法助動詞willの生起問題を統一的に説明する。
    また、今まで条件節内におけるwill以外の法助動詞の生起問題には焦点があまり当てられることはなかったが、これらの問題もwillと同様に、Lyons(1977)に修正を加えた主観性・客観性で統一的な説明が可能であると考える。

    2011年度月例会

  • 2010年度月例会

    ★1月例会(2011年1月22日)

    [司会] 文理学部教授 塚本  聡

    [研究発表]

    1. 文理学部助教 一條 祐哉
      英語のhave所有構文の意味論的考察
       

    2. 文理学部講師 板倉   亨
    King Lear
    という「欲望」の位置

       

    [梗概]

    1. 英語のhave所有構文の意味論的考察

    一條 祐哉(文理学部助教)

     本発表では、英語の所有を表すNP1 + have + NP2の文(以下、have所有構文)を扱う。この構文はざっとあげてみても、以下のような様々な意味を表す。

    1. He has a gun with him[所持]
      b. The table has a book on it. [空間的位置関係]
      c. John has two cars. [譲渡可能所有]
      d. John has blue eyes/a sister. [譲渡不可能所有]
      e. I have a headache. [経験]
      f. He has no time/no mercy. [抽象物所有]
      g. He had a party/a supper.[出来事名詞]

    本発表の目的は、文法的ふるまいをもとに、この構文の意味を再分類し、それぞれの意味の関連性(意味ネットワーク)とその構文の中心的な意味(スキーマ的意味)を考察することである。そして、この考察を通し、そもそも「所有」という概念とは何かを考えたい。

     

    2. King Lear という「欲望」の位置

    板倉   亨(文理学部講師)

       William ShakespeareのKing Learは彼のいわゆる四大悲劇の中でも今ではHamletと並び称される作品であり、これまでも様々な観点から論じられてきた。彼がこの作品を創作するに当たって使用したであろう底本や影響を受けたであろう同時代の書物との関連についてはもちろんの事、主に19世紀にはKing Learの「狂気」に焦点をあてた「性格批評」の、そして20世紀には一切救いのないように思える結末に重きを置いた「ポストモダン批評」の対象となってきたように思われる。

     今発表の目的は、Jacques Lacanの精神分析理論(中でもその「欲望」の概念)と読者反応論の視座から、別の仕方でこの作品を眺め直すことにある。いわばこの作品全体を一つの無意識の機制と捉え、その中で様々にうごめく無数の「欲望」におけるKing Learという「欲望」の位置を捉え直すとともに、その位置と現代の観客・読者である我々自身の「欲望」との関連について考察する事で、King Learが持つ「現代的意義」の可能性を探りたいと思う。

     

     

    ★11月例会(2010年11月20日)

    [司会] 文理学部准教授 飯田啓治朗

    [発表者]

    1.谷村 航(博士後期課程2年)
     機能的構文論から見たthere構文

    2.堤 裕美子(佐野短期大学特任准教授)
     Hamlet 試論―Hamlet の苦しみについて―

    [梗概]

    1.機能的構文論から見たthere構文
                                        谷村 航(博士後期課程2年)

    発表テーマ:「英語の存在文」

    1.はじめに

    上記のようなthere+be+NP+Xの文をthere構文(there construction)と呼ぶ。本発表では、there構文を中心として、haveを用いた存在文やはだか存在文に触れ、英語の存在文について考えていく。there構文とは、ある人・物がこの世にあることをその事実を知らない人間に教える構文である。つまり、相手にとって新情報となる人・物を知らせる存在規定構文であるといえる。

    (1) There is a man in the garden.

    2.英語の存在文

    英語の存在文はthere構文だけではなく、次のように存在を表すことができる。

    (2) Some maps are on the table.
    (3) The table has some map on it.

                                                                                                                 (中右 1998)

    (2)は,はだか存在文とよばれており、(3)はhaveを用いた所有を表す文である。はだか存在文は、there構文より厳しい制約が課されている。その制約とは、主語を数量的に限定されていて、有形でなければならないというものである。There構文にはその制約はない。

    (4) a. *{The/Most/All the/Sm} ridiculous laws are in this state.
       b. * An unpleasant smell is still in my car.
       c. * A mistake is in the last line.

    (5)  a. There is still an unpleasant smell in my car.
       b. There is a mistake in the last line.
          c. There is a strange twist to the story.                                                                (中右1998)

    はだか存在文とthere構文の違いは、譲渡できないような所有関係を表す場合は、there構文のみ許されるということである。

    (6) .a. There is {corn/space} in the manger.
          b. {Corn/*Space} is in the manger.
                              (Kimball 1973)

    1. there構文の種類と統語的特徴

     一口にthere構文といっても、there構文内に生起する動詞や小節(small clause)の種類により、以下のように分類される 。

                                      ES
                                         

                   be ES                                       Verbal ES

             ontological  locational periphrastic  IV ES(inside verbal)  OV ES(outside verbal)

    (Lumsden 1988)

    (7) be動詞を用いたthere構文

    1. Ontological ES [there-AUX-be-NP]
       There is a Santa Clause.
    2. Locational ES [there-AUX-NP-LOC]
       There is a fly in the mustard.
    3. Periphrastic ES [there-AUX-be-NP-[VP{V-ing/V-en/[PRED AP]}-Y]
        There is a gold key missing.
        There is a lot going on.
          In Dufyy’s Bar, there was a man shot by the police.

    (8) 一般動詞を用いたthere構文

    1. There arose many trivial objections during the meeting.  [there+V+NP+X]
      b. Suddenly there ran out of the bushes a grizzly bear.     [there+V+X+NP]

    (8a)は動詞の後ろに意味上の主語が現れている。これを動詞句内(inside verbal)there構文と呼ぶ。(8b)では意味上の主語が文末に生じている。これは動詞句外(outside verbal)there構文と呼ぶ。

     

    参考文献

    Kimball, J. (1973) “The Grammar of Existence,” CLS 9, 262-270.
    Kuno, S. (1972) “The Position of Locatives in Existential Sentences,” Linguistic Inquiry 2, 333-378.
    Kuno, S. and Takami, K (2002) Nichieigo no zidousi koubun  Kenkyusya, Tokyo.
    Lumsden, M. (1988) Existential Sentences: Their Structure and Meaning. London: Croom Helm.
    中右(1998)『構文と事象構造』, 研究社出版
    Milsark, G. L. (1974) Existential Sentences in English. Ph. D. dissertation, MIT. Published by Garland (1979).

    2.Hamlet 試論―Hamlet の苦しみについて―
                                  堤 裕美子(佐野短期大学特任准教授)

     ShakespeareのHamletは悲劇として実に有名であり、特に「復讐悲劇」の代表作である。悲劇は、主人公となる人物の行動が破滅的な結果に終わる筋を持つ劇として定義され、主人公Hamletの行動もこれに当てはまるが、悲劇Hamletはこれまで「文学のモナ・リザ」「演劇のスフィンクス」とも称されて、様々な解釈を生み出してきた。

     今回の発表では、作品の冒頭で、父王の突然の死と母親の早急な再婚を経験し憂鬱を抱えているHamletが、父王の亡霊に出会って復讐を乞われて以降、他の登場人物とどのように関わり、その結果、彼の心境にどのような変化が起きてゆくのかを追う。そしてこれらの変化から、Hamletの「苦しみ」の本質とは何であったのか考察する。

     

    ★10月英語教育シンポジウム(2010年10月23日)

    [司会] 文理学部教授 吉良 文孝

    [テーマ] 「私家版 英文解釈教授法」

    [梗概]

    今回の英語教育シンポジウムのテーマは、「私家版 英文解釈教授法」です。文字どおり、英文解釈(教授)法の極意を、三人の講師に、それぞれの立場から、お話いただくというものです。
     「直読直解」という魔法のような、一種憧れのことばや、あるいは、巷にある英語学校の「本校では、すべて英語の授業、そして英語でものを考えさせます。」といった謳い文句をよく耳にします。「直読直解」や「英語でものを考える」といったことは実際にありますが、日本語を母語とするわれわれにとって、外国語である英語を「直読直解」したり、「英語で考える」ことができるということは、有り体に言えば、それは、直読直解したり、英語で考えることができる(それほど高度ではない)程度の内容しかやっていない、ということです。わたしたちは、英語でそれ相応の中身のある文章なりを読む場合には、前に進み、後戻りし、また前に進み、また後戻りして読む(意味をとる)という作業をしているはずです。いわゆる、「反芻読み」です。これは、日本語の場合でもまったく同じです。難しい内容のもの(たとえば、哲学書など)を読む場合には、日本語を母語とするわれわれであっても、日本語を直読直解することはできないでしょう。そういったある程度の中身を持つ内容のものを読む際の極意について語っていただき、それに対する意見交換をすること、それが本シンポジウムの眼目です。  
     トップバッターとしてご登壇いただく原公章講師からは、英語を「目的」(つまり、学問)として学ぶ者のみならず、「手段」(たとえば、通訳や外交官など)として身につけようとする者にとっても、その効果たるや絶大であると伝説的にいわれている、かつて英文学科でも教鞭をとられた古谷専三先生の「古谷メソッド」についてお話いただきます。「古谷メソッド」とはよく耳にするのですが、その中身についてはよく知らない方が多いのではないかと思います。その全貌を知るよい機会となるでしょう。続いて、青木啓子講師からは、「音」の立場からの英文解釈法、つまり、音についての知識がいかに英文を読む上で助けになるのかを語っていただきます。そして最後に、黒澤隆司講師からは、「英文法」の立場から、英文法の知識がいかに英語を正確に読むことの助けになるのか、そして、英文法と「速読と精読」の関係についてお話いただけるものと思います。どれもこれも興味深い話が聞けそうです。
     大学生、あるいは中高生を対照とした日々の授業を通しての具体的な英文解釈(教授)法について語られることでしょう。それを材料に、参加される皆さんと活発な意見交換ができればと思います。
     

    [発題者]

    1.「古谷メソッド」とはなにか

    原 公章(文理学部教授)

     英語の合理的な組み立て方を意識し、最も簡単な原則にまとめる(形式分析)。その上で、文中の言葉の意味内容を精密に分析していく(内容分析)。「形式分析」とは、「文中で使われている品詞とその働き」を認めて、文の構造を明確にすることで、これがメソッドの出発点となる。「内容分析」は、各語を、<時間・空間>、<推移・性質>、<作用・結果>、<意志・無意志>、<積極・消極>などなど、その場に応じた視点から精密に分析し、「語義の限定」を試みる。冠詞(古谷メソッドでは、形容詞に分類)のa, theの違いを始め、カンマ、セミコロン、ダッシュなどの用法にまで目を向ける。「その表現を少しでも書き換えたら、どのように意味が変わるか、また作者は何といって抗議するか」を考え、それぞれの表現の内実を十分に味わう。

     

    2.英文解釈と「音」

     青木 啓子(文理学部講師)

     「音と英文解釈法に関係を持たせられないものだろうか。」
     このような出発点から本発表を行うはこびとなった。音の知識をどのように授業に生かせるものか、生徒に対してどのように指導できるのかを探る。
     発表の構成としては、まず、自分の授業でどのように行っているかの使用案を提示し、実際に皆さんに体験をしていただきたいと考えている。

     《使用例(90分授業時)》
    ―第一回目の授業で音声の説明(開文社出版のテキストNatural English for Beginners(2006)掲載の音声リスト等を配り,練習させる)

     《毎回の授業構成》
    ※   各自授業までに予習をさせる:本文訳と発音強弱を各自のノートに記入させる
      → 授業毎日に予習チェックを行う

    ―小テストを行う(20~25分)
      ‐小テスト箇所板書
      ‐Study time 5~15分あげる
      (この間に予習チェック→ 予習ポイントとして成績評価に反映)
      ‐読解の為のヒント(文の構造など)は適宜与える

    ―グループワーク(30分~)
      ‐3~4人1グループ:あてられた担当箇所の答えをディスカッション
      (本文訳に加え、英文解釈を含めた音声構造がどのようになるか(どのように発音するのがよいのか)を話し合う)
      →グループで話し合った本文訳を板書
      (板書中にチェックを入れ、要訂正箇所を指示し再度グループでディスカッション)

    ―音声の発表(初回授業時に配布した資料等を利用し、「どうしてそのような答えになったか」も含め、異議など意見交換)
      →発音練習

    グループペーパー(本文訳/ 辞書を調べた表現・単語/ 音声強弱記入)の作成

    ―個人ワーク(10分~)
      ‐本文訳のチェック:各自自分の訳と板書を見比べる,

    ―グループペーパーの提出
      (出来によってグループポイントを与え、成績評価に反映)

     ―授業終了

     

    3.英文法に根ざした英文解釈―速読か精読か?

    黒澤 隆司(日本大学第二高等学校・中学校教諭)

     「そりぁー、直読直解(速読)ができればいいですよ。でもそんなこと、高校生にできるんですかねぇ?」
     現在、高校3年生のReadingを教えているが、最近このように思うことが多い。指導要領にはReadingについて「必要な情報を得たり、概要や要点をまとめる」といった指示が書かれている。しかし「どうすれば正しく英語が読めるようになる」のか。
     勤務校では、今年度、速読としてある程度まとまった量の英語を読ませるとともに、正確に英語を読ませる訓練として、精読を行っている。文の構造を捉え、正しく英語を理解し、日本語にさせる。極めて古典的といわれようが直読直解などというのは英語の構造がわかったもののみができるのであって、わかっていない大半のものは理解した気になっただけで、英語など読めてはいない。今日は、私が同じ学年の先生たちとどのように精読の授業を行っているかを紹介させていただきたい。

     

    ★10月特別講演会(2010年10月9日)

     [司会] 文理学部教授 高橋 利明

     [講演者] Elizabeth Schultz(カンザス大学名誉教授)

     [演題]

    “ Is Moby-Dick still the Great American Novel ? ”

     

    ★9月イギリス文学シンポジウム(2010年9月25日)

     [司会] 文理学部教授 原 公章

     [テーマ] イギリス教養小説(ビルドゥングス・ロマン)の諸相

     [発表者]

           1.  上島 美佳(通信教育部講師)
                        Charles Dickens, David Copperfield

    1. 原 公章(文理学部教授)
                          George Meredith, Diana of the Crossways

            3. 八木 悦子(文理学部講師)
             James Joyce, A Portrait of the Artist as a Young Man                                     

            4. 前島 洋平(文理学部助教)
             W. Somerset Maugham, Of Human Bondage
                                         

    ★6月例会及び特別講演会(2010年6月26日)

     [司会] 宗形 賢二(国際関係学部教授)

     [発表者] 石川 勝(文理学部講師)
    The Single Oneへの回帰―サリンジャーとフリーメイソン

     サリンジャーとフリーメイソンとの関係は以前から指摘されていたが公表されていないため推論の域を出ない。しかし彼の作品を精読していくとき、フリーメイソンとの関わりを抜きにしてその中にちりばめられている謎を解くことができないことがはっきりしてくる。特に6,13などの数字の使い方と、全ての宗教を統一しようという意図において、他の解釈は難しいように感じられる。
     今発表では”For Esme with Love and Squalor”と”Down at Dinghy”を中心に一つ一つ事実を積み重ねていくことで、サリンジャー作品におけるフリーメイソンの影響を解き明かしていきたい。

    <特別講演会> 

     [司会] 松山 幹秀(文理学部教授)

     [講演者] 大津 由紀雄(慶應義塾大学教授)

     [演題] 

    言語教育の構想―「ことばへの気づき」を基盤に母語教育と外国語教育を一体化する

     

    ★5月例会(2010年5月15日)

     [司会] 高橋 利明 (文理学部教授)

     [発表者] 1.齊藤 雄介 (博士後期課程 2年)
             中英語における非人称動詞の発達
           ―Penn-Helsinki Parsed Corpus of Middle English Second editionを資料として―
     
         2.上滝 圭介 (文理学部講師)
             『オセロー』試論 ―handkerchiefのモチーフを手がかりに―
             

     

     [梗概]

    1.中英語における非人称動詞の発達
      ―Penn-Helsinki Parsed Corpus of Middle English Second editionを資料として―

    齊藤 雄介(博士後期課程2年) 

     本発表のタイトルは「中英語における非人称動詞の発達 ―Penn- Helsinki Parsed Corpus of Middle English Second editionを資料として―」である(以下PPCME2)。非人称動詞とは、主語が省略されているのではなく、その節の中に主語を必要としない動詞のことである 。

    (1)  hēr sniwde

      here snowed

       ‘it snowed here’

    (2)  mē     ðyncð   betre

    to-me   seems  better

    ‘it seems better to me’

    (3)  mē    lyst      rædan

    to-me  pleases  to-read

    ‘it pleases me to read’

     

     上記のような動詞が非人称動詞である。しかし、このような動詞は、中英語期の終わりにはほとんど消失してしまっている。

    そこで本発表では、その消失の要因について調べることを目的とする。PPCME2を資料として、中英語期の非人称動詞の使用状況を観察し、その要因に関して考察、分析する。なお、対象とする動詞はPPCME2の中で使用頻度の高かった、liken(like), listen(desire), neden (be necessary), semen (seem), thinken (seem), happen (happen)の6つである。

     非人称動詞の消失に関しての先行研究は、再分析を用いるか用いないかで2つに大別される。再分析を用いるものとしては、Jespersen(1927)などがあり、再分析を用いないものには、Fischer and van der Leek (1983)がある。消失の要因を検討する際には、これらの先行研究をPPCME2から得られたデータを用いて検証し、その正当性について考察を行う。

     参考文献

     

    橋本 功 (2005)  「英語史入門」 慶応義塾出版会

    Jespersen, O. (1909-49) A Modern English Grammar on Historical Principles, 7 Vols. (Repr. London, 1961.) Carl Winters Universitatsbuchhandlung, Heidelberg/Ejnar Munksgaard, Copenhagen.

     

     

    2.『オセロー』試論 ―handkerchiefのモチーフを手がかりに―

    上滝 圭介(文理学部講師) 

                      

     William Shakespeare (1564-1616)のOthello (1601-4年頃初演、1622年Q1出版、1623年F1出版)は、ヴェニス国に仕官するムーア人Othelloとその部下Iagoの2人を中心に展開する悲劇作品である。本作にはじつに様々な論点があり、副筋や劇中劇を排したプロット構成、凄惨な終幕部、材源であるGiraldi Cinthio(1504-73)のHecatommithi (1565)との相違などが挙げられるが、本発表ではとくにIagoがOthelloの妻Desdemonaの不貞の証として利用するhandkerchiefに注目したい。Arden版第3シリーズの装丁には宙に舞い落ちるhandkerchiefの図案が配されており、粗いセピア調の背景に揺らぐそのhandkerchiefは少々ピンぼけ気味に表現されている。ともすれば見過ごしがちなこのようなhandkerchiefのモチーフについて、Jacques Lacan (1901-81)の「手紙は必ず届く」とのテーゼをもとに精神分析的解釈を試みるというのが本発表の骨子である。

     

     

    ★4月例会(2010年4月17日)

     [司会] 保坂 道雄 (文理学部教授)

     [発表者] 1.  長島 万里世(博士後期課程3年)
                        『愛の果ての物語』に関する一考察―“too sensational”をめぐって

    1. 依田 悠介 (大阪大学大学院博士後期課程3年)
                           Coordination, Case and Operations after Syntax

     [梗概]

     

    1.『愛の果ての物語』に関する一考察―“too sensational”をめぐって

    長島 万里世(博士後期課程3年)  

     『若草物語』等数々の児童小説を生み出し、“Children’s Friend” と評されていた作家ルイザ・メイ・オルコットは、実はもう一つの顔を持っていた。彼女はペンネームを用いて多くのスリラー小説を遺している。その内容の多くは、殺人、裏切り、復讐、流血という反道徳的なものであった。ルイザはオルコット家の稼ぎ頭であったので、このような扇情的な作品を雑誌に投稿してお金を稼ぎ家族を養い、そして借金を返していた。
     『愛の果ての物語』は1866年に執筆されたが、編集者から「センセーショナルすぎる」という理由で却下されてしまう。結局この作品は130年後の1995年まで出版されることはなかった。ルイザが書いた他のスリラー小説と比べても、それほど過激とは思えないこの作品はどうして却下されてしまったのであろうか。いくつかの代表的なスリラー小説と比較することで、『愛の果ての物語』では一体何が「センセーショナルすぎ」たのかを考察していきたい。

     

    2.Coordination, Case and Operations after Syntax

    依田 悠介(大阪大学大学院博士後期課程3年)  

     Proposal: It has been widely presupposed that we have modules such as Lexicon, Syntax, LF and PF and each module is autonomous and thus each module has each set of operations. Under such point of view, Merge and Move (perhaps even Movement is product of merge) are the only operations in Syntax, for instance. However, some crucial data has been pointed out in recent years and the autonomy of each module has been reconsidered in some sense among some relevant works. This presentation will examine the explanatory adequacy of latter theory which is called Distributed Morphology (Halle and Marantz (1993), Embick and Noyer (2006)) and show some empirical data from Japanese and English to support premises (1).

    (1) a. There are some syntactic operations which are not subject to syntactic constraint.

    1. Syntactic constraints limit SYNTACTIC operations.

    Then from these premises, conclusion (2) will be deduced.

    (2) There are some operations which are only applicable out side of syntax.

    Moreover, via contrastive research on Japanese and English, difference on constraint-sensitivity of each language will be given as a byproduct.

    2010年度月例会

  • 2009年度月例会

    ★1月例会(2010年1月23日)

    [司会] 金子 利雄 (薬学部教授)

    [発表者] 1.角田 裕子 (博士後期課程3年)
    『ドンビー父子』試論:フローレンスに関する一考察

    2.秋葉 倫史 (博士後期課程3年)
    古英語の‘have + object + past participle’ 構文と完了形の発達
    ―Brooklyn Corpus を資料として―

    [梗概]

    1.『ドンビー父子』試論:フローレンスに関する一考察

    角田 裕子(博士後期課程3年)

    チャールズ・ディケンズ (Charles Dickens, 1812-70) の第7番目の長編小説である『ドンビー父子』(Dombey and Son, 1846-48) は、彼が作家としての円熟期を迎えたことを告げる作品である。これは、ディケンズが小説としての構成をきちんと考えずに複数の作品を同時に執筆していたそれまでの姿勢を改め、『ドンビー父子』で初めて本格的に創作メモを取り、用意周到に構想を練っていたことからも明らかである。
    『ドンビー父子』の中心テーマは、19世紀イギリス中産階級の典型的人物ポール・ドンビー (Paul Dombey) の人間性回復である。ドンビーは会社や個人的野望のみに心を奪われ、家庭を蔑ろにしたために数々の不幸に見舞われる。「ドンビー父子商会」が破産し、自殺寸前にまで追い込まれた彼を救ったのは、彼がずっと避けてきた娘フローレンス (Florence) だった。多くの批評家が指摘するように、『ドンビー父子』は「社会小説」というより「家庭小説」である。最終章には、ドンビーの二人の孫との穏やかな生活が描かれており、「家庭」こそドンビーを不幸にも幸福にもさせたものであることが分かる。本発表では、家庭が様々な登場人物にとってどのような意味付けをされているのか、特にフローレンスを中心にして考察したい。

     

    2.古英語の‘have + object + past participle’ 構文と完了形の発達
    ―Brooklyn Corpus を資料として―

    秋葉 倫史(博士後期課程3年)

    現代英語(PE)に見られる完了形は、古英語(OE)の‘have + object + past participle’構文(以下、have+O+p.p.構文)から発達したとされる。

    (1) … þa þa ge hiene gebundenne hæfdon
    … then when you him bound had
    ‘… then when you had bound him / had him in the state of being bound’
    (Traugott(1992: 190))[Or 6 37. 296.21]

    (1)のhæfdon(have)は対格目的語をとる本動詞で、その目的語hieneと目的語を修飾する過去分詞gebundenneは性・数・格が一致した。その後、haveの本動詞の意味が薄れ、語順の変化に伴い、haveの目的語が過去分詞の目的語へと再解釈され、PEの完了形へと発達していく。
    以上は完了形発達の伝統的な説明である。しかし、このhave+O+p.p.構文はOE期にすでに完了形として確立していた可能性も考えられ、この点はいまだ議論される問題として残る。本発表ではこの問題を踏まえ、完了形の起源とされるhave+O+p.p.構文が、実際にどの程度完了形へと発達していたかを検証することを目的とする。have+O+p.p.構文と完了形の性質を分け、その基準をもとに、形式(形態・語順)と意味の観点からこれらの構文を分析し、OEのhave+O+p.p.構文の実態を探る。検証に用いる例文は、通時的コーパスであるBrooklyn Corpusを使用して収集した。このコーパスから抜粋したhave+O+p.p.構文を一つずつ詳細に検討し、OEのhave+O+p.p.構文の特質を明らかにする。

     

    ★11月例会(2009年11月21日)

    [司会] 中村 光宏 (経済学部教授)

    [発表者] 1.杉本 宏昭 (日本工業大学専任講師)
    大学英語教育再考:現代の要求に応えるために

    2.森  晴代 (文理学部講師)
    /s/の機能と実像
    ~/s/+consonant cluster の音節構造における特殊性を考える~
    [梗概]

    1.大学英語教育再考:現代の要求に応えるために
    (共同研究:日本工業大学専任講師 杉本 宏昭、同大学専任講師 平岡 麻里、同大学教授 寺尾 裕)

    杉本 宏昭 (日本工業大学専任講師)

    エンジニアを取り巻く現状:
    近年のグローバリゼーションによる経済活動の国際化により、現場を担うエンジニアの養成を行っている工学系大学でも、国際化に対応できる実践的な英語力をつけることが教育課題としてますます取り上げられるようになってきた。

    工学系大学の学生の入学時の学力:
    しかし、少子化、「ゆとり教育」、AO(アドミッション・オフィス)入試などの学力試験を課さない選抜方式で学生を広く受け入れるようになったことから、本来ならば大学入学以前に学習・習得しているべき内容を、入学前後に補うリメディアル教育を行う大学が増えており、現在ではその内容は中学レベルから始まることももはや珍しくない。

    日本工業大学の実践例:
    日本工業大学では、1・2年次英語必修科目におけるカリキュラムの見直しを行った。その中心となるコンセプトが、リメディアル英語教育から学生の将来の英語のニーズを意識したESP(English for Specific Purposes)英語教育への橋渡しとなる一般教養英語の実践である。それは学生の英語力の現状と、学生が将来エンジニアとして求められる英語力とのギャップを埋めるべく構想され、ESPを指向するリメディアル英語教育の一つの試みであると考えている。

    具体的取り組み:
    ・共通シラバスの作成

    ・習熟度別クラス編成

    ・Course of Studyの採用(共通シラバスでありながら、習熟度別クラス編成を採用しているため、各レベルの学生がそのレベルに)合わせて習得するための毎回の授業の具体的指導案)

    ・統一テキストの採用

    ・統一中間・期末試験の実施(ならびにその回収したデータの分析)

    ・定期的な担当教員ミーティング(FD活動を目指す)

    ・Weekly Quizの実施(1年生全員(およそ1100名)を対象に度実施した、文字の筆記・判別小テスト。日本工業大学では基礎専門科目として位置づけられる数学教員の協力を得て、アルファベットの順番・書き方、ギリシア文字とアルファベット、アルファベットと数式内で用いられた記号との違いを、それを読む相手が判別できるよう筆記することを目的に実施)

    日本工業大学における試みは、大学英語教育ならびに大学英語教員が置かれた現状を示す一例であり、またその試みは教員個人の範囲にとどまるものではなく、英語教育全体そして今回は他科目の教員をも含めた側面、ならびにこれからの大学英語教育の1つの可能性を秘めたものとしてとらえるべき性質をもっております。発表を通じ大学英語教育の一つの具体的な取り組みを示すことは、英語教育を専門とする方々に対し新たな例示をするだけではなく、むしろ英語教育を専門としない方々にこそ一層の関心を抱いていただきたいと考えております。

     

    2./s/の機能と実像
    ~/s/+consonant cluster の音節構造における特殊性を考える~

    森  晴代 (文理学部講師)

    英語の音/s/は、音節構造の中で他の音と比べて特殊な性格を持つ。例えば一音節において、音節テンプレートにおけるonset(音節頭)には、最大3つまで子音連結が可能であるが、その一番端は必ず/s/である。(例: strike,  splash,  scream

    問題となるのは、これらが聞こえ(個々の音が本来持っている音のエネルギー)による音配列に違反することである。通常音配列は、一音節内で母音が聞こえの頂点となり、母音から離れるに従って聞こえが減少していくのが原則であるが、/s/は上記の例で隣接している/p, t, k/より、聞こえが高いにも関わらず、/p, t, k /よりも外側に生起している。なぜ/s/のみこのような配列が許されるのだろうか。英語の辞書を見て/s/で始まる語が一番多いことも興味深い疑問である。

    本発表では、/s/の音節構造における機能と/s/の持つ実像を整理し、音連結上特殊な/s/+子音連結を数多く持つ英語の音配列について、extrametricality及び子供の発音習得の両面から考察する。

     

     

    ★10月英語学シンポジウム(2009年10月10日)

    ・10月例会 研究発表

    [司会] 塚本 聡 (文理学部教授)

    [テーマ] Accusative with Infinitive 再考

    [発表者] 1.塚本 聡 (文理学部教授)
    通時的データからのアプローチ

    2.田中 竹史 (博士後期課程3年)
    構造からのアプローチ

    3.松崎 祐介 (日本大学豊山女子高等学校教諭)
    意味からのアプローチ

    [梗概]

    本シンポジウムでは、Accusative with Infinitive(不定詞つき対格)やExceptional Case Marking (ECM)(例外的格付与)と呼ばれる(1)~(3)にみられる構文を扱う。

    (1) John believes her to be an honest girl.

    (2) John persuaded the doctor to examine the boy.

    (3) John wanted the doctor to examine the boy.

    (1)におけるherは、意味上、不定詞の主語として働きながら、形態的には主格のsheではなく、目的格のherで表現されている点で、きわめて特異な性質を持っている。このように特殊な構文であることから、常に焦点が当てられてきた。

    上記の構文は、通例用いられる学校文法での5文型による分析を適用すると、いずれもSVOCのタイプとなる。さらに、当構文と関連して、従属節を用いた(4)の構文との同義性もしばしば取り上げられる。

    (4) John believes that she is an honest girl.

    (1)において形態上herとなっていた補文中の主語が、(4)ではsheという主格で表示され、(4)は形式と意味が一致した表示形式となっている。しかしながら、5文型分析では、(1)はSVOCと分類される一方、(4)はSVOに分類されるが、異なるタイプを同義として扱うことは、説明力を欠くと言わざるをえない。さらに、より詳細に分析すると、これら(1)~(3)を同列に分類、分析することは適切ではないことが分かる。例えば、不定詞部分を受動化した対応文(5)~(6)を参照。

    (5) John persuaded the boy to be examined by the doctor. (← 2)

    (6) John wanted the boy to be examined by the doctor. (← 3)

    (6)は(3)とほぼ等価であるのに対し、(5)は(2)と等価とはならない(persuadeする対象が異なる)。異なる意味構造を有するという事実は、両者が異なるタイプであることを示唆し、より厳密な分析が求められる。

    本シンポジウムでは、本構文について、下記の3つの視点から、検討を行い、それぞれのアプローチの特徴、適切に説明可能な点、扱いきれない点などを相互に明らかにする。

     

    1.通時的データからのアプローチ

    塚本 聡(文理学部教授)

    史的事実をさかのぼり観察すると、現代英語の原則が当てはまらない例が見つかることがある。下記は、現代英語における不定詞・動名詞の一般的区分が適用できない例である。

    he is the blessed man .., that neuer wylleth doinge euyl, and euer willeth doing well. (1525-30 Th. Lupset Wks 208)

    Taxing the poore king of treason, who denied to the death not to know of any such matter. (1624 Capt. Smith Virginia iv. 157)

    上記例では、未来的意味を有する場合にto不定詞を使用するという一般原則とは合致しない例と言えよう。このような例を考慮すると、現代英語の実状のみで意味の原則を捉えることには危険がある場合がある。

    当アプローチでは、Denison (1993) を分類の基本とし、Visser (1963)のデータを活用しつつ、いわゆるAccusative with Infinitive構文が、ほぼ同義であるthat節構文との競合関係の中、どのような経過で現在の形となったのかについて、史的データを示す。また、現代英語のコーパスから、一般原則と異なる用例を検索し、データ検証の必要性にも言及する。

     

    2.構造からのアプローチ

    田中 竹史(博士後期課程3年)

    学校文法でSVOCと分類されるいわゆるAccusative with/plus Infinitive構文に付いて、構造的(特に生成文法の)視点から、近年の理論展開(Koizumi 1999, 2002; Lasnik 1999, 2005等)を考慮しつつ、どの様な分析が可能であるのかを検討する。

    具体的には、ECM構文(I believed/expected/proved John to be better than he was)を中心に、Object-Control構文(I persuaded/compelled/forced John to be better than he was)など他のAccusative with/plus Infinitive構文や、SVOと分類されるthat節構文との比較を通して、当該構文の(特にpostverbal NPの)文法的振る舞いに焦点を当てる。これにより各構文の性質を浮き彫りにさせ、「特異な性質」がどの様に分析されるのかを議論する。

    検討するアプローチでは、that節・不定詞節間の平行性、つまり、「表面的相違にもかかわらず文法的振る舞いが平行する」という事実や、ECM構文やObject-Control構文などAccusative with/plus Infinitive構文間で見られる「表面的同一性にもかかわらず文法的振る舞いが異なる」という事実を内部の統語構造から自然に導き出せる事を示す。

     

    3.意味からのアプローチ

    松崎 祐介(日本大学豊山女子高等学校教諭)

    形式の違いが意味の違いを反映するという前提のもと、無限に広がる意味(叙述機能)に対して、形式の側には制限(構造制約)があり、どこまでがどの形式かという境界を明らかにするのが意味論・認知言語学の重要な役割である。

    これまで主に、①主節動詞と補文の意味的整合性についての考察、②文法形態素の原義に注目して、それぞれの補文形式にはどのようなスキーマ的意味があるかの考察、あるいは③それぞれの補文形式を独立して扱うのではなく、ING動名詞・分詞から原形不定詞・TO不定詞を経てFOR-TOパターン・THAT節までが段階的な連続性を形成し、その中でそれぞれがどのような位置づけになっているかの考察などがなされてきた。

    本シンポジウムでは、主にGivón(1991・1993)による統語的・意味的距離の程度理論(主節と補部との間の統語的な距離感は意味的な距離感とアイコン的に一致する)、Wierzbicka(1988)やDixon(1991)が提示するそれぞれの補文形式の意味的不変化要素(それぞれの補文形式が有するスキーマ的意味)を紹介する。それらを基盤に、その欠陥部分を補い、またさらに発展させ、特に本シンポジウムの研究対象とされるTO不定詞とTHAT節を「モノ的 vs. コト的」(松崎(2007・2008)で議論)という観点から説明する。人間の行動様式・認知処理のプロセスが言語形式に反映されるという立場で、THAT節補部はコト的(全体的状況の認識)で、TO不定詞補部はモノ的(出来事そのものに限りなく近い)であることを提案する。

     

     

    ★9月アメリカ文学シンポジウム(2009年 9月26日)

    ・9月例会 研究発表

    [司会] 高橋 利明 (文理学部教授)

    [テーマ] アメリカ演劇における〈異端〉の表象
    -オニール、ウィリアムズ、ミラー、ホアンの作品をめぐって

    [発表者] 1.長田 光展(中央大学名誉教授)
    『楡の木陰の欲望』(1924)――父権文明への情念からの反逆

    2.堀切 大史(文理学部専任講師)
    『欲望という名の電車』(1947)と異端者への眼差し

    3.高橋 利明(文理学部教授)
    『るつぼ』(1953)―John Proctor と魂の異端

    4.宗形 賢二(国際関係学部教授)
    『M.バタフライ』(1988) とオリエンタリズム―

    [梗概]

    1.『楡の木陰の欲望』(1924)――父権文明への情念からの反逆

    長田 光展(中央大学名誉教授)

    19世紀中葉のニューイングランドを背景に物欲と愛欲を描いたこの作品は、オニール劇中最もポピュラーな作品でありながら、鋭い文明批判の劇として、幾つか重要な着目点を用意します。一つは、有名なト書き。キャボット家を覆う2本の楡は、酷使された女性のイメージとして描かれ、「女性」が作品の隠れた主人公であることを明らかにします。これを女性系のシンボルとすれば、明らかな男性系のシンボルも用意され、それらは、この家を囲む「石垣」とキャボット家の人物構成ということになります。石垣は家長エフライムの「石の心」を明らかにし、男ばかりの家族構成は、文明のシンボルともなるこの家がきわめて男性的な偏向を持つ文明の場であることを示しています。

    2番目の妻が死んで10年目の春、突如3番目の妻を娶るエフライム、そんな父親に対する息子たちの反抗、母の代理人を自認して父エフライムと新しい母アビーに敵対する三男エベン、そのエベンとアビーとの近親相姦的な愛と愛欲の成就、出産、子供の死。一つ一つのエピソードを通して、オニールはそこに規範としての父権的枠組みを遥かに超えて存在する異端の視点、「情念」と「情念の浄化」による救済という新たな視点と枠組みを提示しようとする、というのが、私のとりあえずの論点となります。
    2.『欲望という名の電車』(1947)と異端者への眼差し

    堀切 大史(文理学部専任講師)

    エドガー・アラン・ポーの詩を暗唱する感受性豊かな元英語教師ブランチは、酒とポーカーを好む暴力的な肉体労働者スタンリーを家長とするニューオリンズの家では、明らかに異端者である。また、白をイメージさせるブランチは、黒をイメージさせるスタンリーと対立し、かつジャズ発祥の地であり黒人の多く住む街ニューオリンズという土地にも溶け込めない。異端者であるブランチは結局、スタンリーによって、彼を中心とする社会から排除されるわけだが、そのブランチもまた、もうひとりの異端者というべき同性愛者の夫アランを排除し、自殺へと追いやった過去を持つ。異端者を排除しつつ自らも異端者となってしまうブランチを中心として、作品における様々な象徴を手掛かりに、『欲望という名の電車』に描かれている異端とその意味について論じたい。
    3.『るつぼ』(1953)―John Proctor と魂の異端

    高橋 利明(文理学部教授)

    人間が良心に従って生きることの難しさ、また人間が自己の魂の尊厳を守り抜くことの難しさを、ジョン・プロクターが体現しているが、早くも形骸化しているピューリタンの正統性に対するアンチテーゼとして、極めて人間的な故に表出してくるプロクターの異端性は、周縁に追いやられていく人間への共感の重要性を裏打ちしていると思われる。つまり、中心と周縁の概念で言えば、周縁こそが、中心を批判的に活性化させる役割を担っているのである。そこで本論において論者は、人間の良心、あるいは魂というものが、本質的に異端的であることをジョン・プロクターが身をもって示したことを論証したい。また、魔術を通じてこの劇作品のプロット展開の元を作ったバルバドス島出身の周縁的な異端性を体現する黒人奴隷ティチュバが、当時のセイラム村というピューリタン共同体を根底から揺るがす事件に関与したことの意味も吟味したい。
    4.『M.バタフライ』(1988) とオリエンタリズム―

    宗形 賢二(国際関係学部教授)

    ある演劇が人種や性の問題を扱う時、どのような配役をするかによってその作品の解釈と評価は大きく左右される。中国系アメリカ人デイヴィッド・ヘンリー・ウォン(David Henry Hwang, 1957- )の『M.バタフライ』(M. Butterfly, 1988、同年トニー賞)はまさにこのような演劇的問題を扱ったある種政治的な作品である。

    作品執筆のきっかけは、1986年、ある仏人外交官と中国人女優との恋愛/スパイ事件の新聞記事であった。20年間もの間恋愛関係にあり、さまざまな情報を漏らし続けた相手が、実は男であったとわかる。舞台では、北京の大使館でのガリマールとソンとの出会い、不倫、妊娠(?)、仏での再会と同棲、裁判、独房での自殺と、全3幕の物語として展開する。

    ウォンの狙いは、西洋のオリエンタリズムの「脱構築」だが、東洋人と西洋人の二項対立の中でジェンダーとセクシャリティの問題を取り上げることで、父権制的共同体内部の同性愛嫌悪も露呈してしまっている。今回のシンポジウムでは、「異端の表象」として、東洋人の性と同性愛嫌悪を取り上げ、いわゆる「オリエンタリズム」の中での人種・ジェンダー・セクシャリティを再検討したい。

     

     

    ★6月例会及び特別講演会(2009年 6月27日)

     

    ・6月例会 研究発表

    [司会] 原 公章 (文理学部教授)

    [発表者] 杉本 久美子(東北女子大学講師)
    The Longest Journey 一試論 それぞれのrealとRickieの死について

    [梗概]

    The Longest Journey (1907)はE. M. Forster(1879-1970)自身 “The Longest Journey is the least popular of my five novels but the one I am most glad to have written.”と述べている問題作であり、彼の長編小説の中でも最も評価しづらい作品でもある。作品を難解にさせている要因はいくつか挙げられるが、作品を特徴付け、かつ難解にさせている最大の要因は、多用されるrealという表現である。realという表現自体が多義的であるにもかかわらず、登場人物たちにとってのrealが個々の視点からのものであり、交差し縺れ合う個々のrealがさらに作品を複雑化させている。そして他の長編小説との最大の違いは、主人公Rickie Eliotの死である。Rickieの死によってForsterが表現したかったのはいったい何なのか。登場人物それぞれのrealを検証しつつ、Rickieの死の意義について考証したい。

    ・特別講演会

    [司会] 関谷 武史 (文理学部講師)

    [講演者] 加藤 行夫 (筑波大学大学院教授)

    [演題] 悲劇の座標軸

     

     

    ★5月例会(2009年5月16日)
    [司会] 塚本 聡 (文理学部教授)

    [発表者]

    1. 野村 宗央 (博士後期課程2年)
    Paradise Lost 及び Paradise Regained に於ける
    “the true orator”vs.“the false orator”

    2. 田中 竹史 (博士後期課程3年)
    On Dative Alternation:
    What does Morphology tell us about the Syntax of the Alternation?

     

    [梗概]

    1.Paradise Lost 及び Paradise Regained に於ける
    “the true orator”vs.“the false orator”

    野村 宗央 (博士後期課程2年)

    本発表では、John Miltonの叙事詩Paradise LostParadise Regainedを主に取り上げ、作品中に見られる “the true orator” と “the false orator” との違いについて考察する。
    両作品に於いて “orator” としての地位が与えられているのは、ChristとSatanであり、結論から言えば、 Miltonが考える “the true orator” とは、Paradise Regainedに於けるChristを指し、 “the false orator” とは 両作品に於けるSatanを指している。本発表では、これら登場人物達の言動を比較検討し、またMilton自身 “orator” となって持論を展開したAreopagitica等の散文作品も考慮に入れ、Miltonの “orator” 観を明らかにすることを目的とする。

    2.On Dative Alternation:
    What does Morphology tell us about the Syntax of the Alternation?
    田中 竹史 (博士後期課程3年)

    英語には“deverbal compound”や“synthetic compound”或いは“argument-head compound”等と呼ばれる(1)の様な語形成過程が見られる事が良く知られている(Roeper & Siegel 1978, Selkirk 1982等)。

    (1) tiebreaking, name-calling, fact-checking, paper-cutting, truck-driving, fact-finding, housekeeping, noisemaking, can-opening, mind-reading, storytelling, page-turning, script-writing (Harley 2004: 7)

    この過程は極めて生産的であるものの、以下に示す様に、与格動詞においては主題項と着点項とで非対称的な振る舞いを見せる(Baker 1997, Grimshaw 1990, Levin & Rappaport Hovav 2005等)。

    (2) a. *spy-telling (of secrets), *child-reading (of books)
    b. secret-telling (to spies), book-reading (to children) (Levin 2005: 13)

    本発表ではこの様な語形成過程に着目し、与格動詞の統語構造に関してどの様な事が言えるのかに付いて議論する。
    ★4月例会(2009年4月18日)

    [司会] 野呂 有子 (文理学部教授)

    [発表者]

    1. 佐藤 健児 (博士後期課程2年)
    知覚動詞構文のアスペクト

    2. 山本 由布子 (文理学部講師)
           『闇の奥』と『嵐が丘』 ―その共通点から見えるもの―

     

    [梗概]

    1.知覚動詞構文のアスペクト

    佐藤 健児 (博士後期課程2年)

    本発表では、see, hear等の知覚動詞を取り上げ、その補文に原形不定詞が生じた場合と現在分詞が生じた場合の意味的相違を考察する。

    (1)a. I saw the man cross the street.

    b. I saw the man crossing the street.

    知覚動詞の原形不定詞補文と現在分詞補文の意味的相違を巡っては、従来、「完結・非完結説」、「有界・非有界説」、「非進行・進行説」等、様々な立場からの原理的説明が試みられてきた。本発表では、これらの説の中から「完結・非完結説」の立場をとり、そこでの問題点を議論していく。具体的には、原形不定詞補文と現在分詞補文の選択要因や、両補文の意味的相違、各補文に生起可能な動詞句の種類や、補文主語の制約等を考察する。

    2.『闇の奥』と『嵐が丘』 ―その共通点から見えるもの―

    山本 由布子 (文理学部講師)

    コンラッドの『闇の奥』(1899)とエミリ・ブロンテの『嵐が丘』(1847)は、その語りの入れ子構造と内奥に物事の本質を描く方法が似ている。『闇の奥』のクルツと『嵐が丘』のヒースクリフは、いずれも文明に相反し、時の概念に左右されない、「荒野」を体現していると言うことができる。彼らの魂は、日常から離れ、剥き出しで、それら自身の執拗な格闘を通して、人間の原初を表現する。クルツは“Benevolence”を、ヒースクリフは“pity”を否定し、残虐な行為によって自分たちの願望を満たそうとする。彼らの生はいずれもロマンスを真っ向から否定する死と地獄によって描かれる。彼らの魂の葛藤は、マーロウの語る“life-sensation”と言えないだろうか。本発表では、両作品に幾つかの共通点を見出し、コンラッドとブロンテが、クルツとヒースクリフの死を通して、人間の生について何を訴えようとしたのかを考察する。

    2009年度月例会

  • 2008年度月例会

    ★ 1月例会(2009年1月10日) 

      [司会] 福島 昇 (生産工学部教授)

      [発表者]

        1. 上滝 圭介 (博士後期課程2年)
           『ヘンリー4世:第1部』終幕の劇的アイロニーについて

         2. 秋葉 倫史 (博士後期課程2年)
           The Anglo-Saxon ChronicleにおけるHAVE構文と完了形の発達

                              

    [梗概]

     1.『ヘンリー4世:第1部』終幕の劇的アイロニーについて

       上滝 圭介 (博士後期課程2年)

     『ヘンリー4世:第1部』(1597-8)は2部構成の作品の前半にあたり、百年戦争下の英国で内乱を企てたパーシー家一党を鎮圧するハル王子を主人公に設定した史劇作品です。放蕩三昧のハル王子が反乱鎮圧に出向き、パーシー家の若武者ホットスパーを討ちとるのが本筋で、ここにハル王子の盟友として名脇役フォルスタッフが絶妙に絡んできます。終幕部分では、勇猛果敢に決闘に臨むハル王子とホットスパーに対し、フォルスタッフは死んだふりをして命拾いをした後、ホットスパーの亡骸を前に煩悶しながらも、ハル王子とともに自陣に引き揚げていきます。この終幕部が提示する劇的アイロニーについて、フォルスタッフの台詞を手掛りに分析します。

     

    . 2.The Anglo-Saxon ChronicleにおけるHAVE構文と完了形の発達

      秋葉 倫史 (博士後期課程2年)

     一般に(1a)のPEで用いられている完了形「have+過去分詞+目的語」は(1b)のOEの形「have+目的語+過去分詞」から発達したと考えられている。

    (1)   a. I have / had bound him
       b. Ic hæbbe / hæfde hine gebundenne                                                                                              (中尾・児馬 1990: 110)

     OEではhaveは本動詞であり過去分詞は目的語を修飾する形容詞で格変化し、その性、数、格は目的語と一致した。したがって(1b)は「私は彼をしばった状態で所有している」という意味になる。本研究ではこの「have+目的語+過去分詞」をHAVE構文として扱う。
     このHAVE構文をThe Anglo-Saxon Chronicleから抜き出し検討する。The Anglo-Saxon Chronicleにはいくつか写本が存在するが、本研究ではA写本とE写本の二つを用いる。HAVE構文からPEの完了形への発達に関してこれまで多くの議論がなされてきた。本研究では、特に完了形が成立した時期とその発達段階をThe Anglo-Saxon Chronicleにおける実際の例から示すことを目的とする。

     

     

    ★ 11月例会(2008年11月22日)

      [司会] 寺崎 隆行(通信制大学院教授・経済学部教授)

      [発表者]

        1. 角田 裕子 (博士後期課程2年)
             『骨董屋』におけるネルの役割

         2. 松山 献 (博士後期課程3年)
            E. M. フォースターの小説における「見えないもの」について

     

      [梗概]

     1.『骨董屋』におけるネルの役割

       角田 裕子 (博士後期課程2年)

     チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens, 1812-70)の数ある作品の中で『骨董屋』(The Old Curiosity Shop, 1840-41)ほど好評と不評の両極端な評価をされた作品はない。それは専ら主人公ネルに関するものである。連載中、読者はネルの行動に一喜一憂し、もはや彼女の死が避けられないと察するや、ディケンズにネルの「助命嘆願書」を送る読者まで現れたほどだった。しかしその熱狂的賞賛への反動からか、19世紀末にはネルに魅力を感じるどころか逆に、非難と嘲笑を浴びせるようになる。多くの批評家が指摘するように、ディケンズの『骨董屋』執筆姿勢にはあまりにも感情的になっているきらいがある。国家現象とも言えるネルへの賞賛ぶりは、ディケンズが故意に扇動した結果だと感じざるを得ないほどである。しかし読み進めていくと、感情的という一言では片付けられない当時のイギリスが直面する複雑な現実に気付かずにはいられない。本発表では『骨董屋』を評価するにあたり、常に矢面に立たされてきたネルの描写を中心に考察し、彼女の存在が作品にどのような影響をもたらしているのかを明らかにしたい 。

     

    2.E. M. フォースターの小説における「見えないもの」について

     松山  献(大学院総合社会情報研究科3年)

    E.M.フォースター(Edward Morgan Forster,1879-1970)は棄教したヒューマニストでありながら、「見えないもの」(the unseen)すなわち霊的なものに執着し続けた特異な作家である。本発表では、彼の小説において中心的な主題である「見えないもの」について考察する。まず、フォースターが影響を受けたと考えられる作家や思想家などによる「見えないもの」についての言説をいくつか検討し、英国の文化や社会における不可視的あるいは神秘的なものへの関心がフォースターの姿勢の素地となった事実を示す。次に、フォースター自身がこの概念について説明している直接的言及をいくつか検討し、現実を超えるものの中にこそ真実が存在するというフォースターの一貫した姿勢を示す。さらに「見えないもの」の具体的事例として、「土地の霊」(spirits of place)、「象徴的瞬間」(symbolic moment)、「個人的人間関係」(personal relationships)、「必然性」(inevitability)、「連続性」(continuity)の五点を取り上げて、その内容と特質について略述する。以上の考察により、フォースターの描写する「見えないもの」が、いずれもきわめて重要な宗教的価値をもつ概念であることを明らかにしていきたい。

     

     

     

    ★10月英語教育シンポジウム(平成20年10月18日)

        [司会] 渋木 義夫 (日本大学習志野高等学校教諭)

        [テーマ] 日本大学付属高校での英語教育について

        [発題者] 

      1. 付属高校での英語教育の現状

                              日本大学櫻丘高等学校教諭  中原 友香子

       2. 英文法指導の過去、現在、未来

                                           日本大学第二中学・高等学校教諭  黒澤 隆司

       3. SELHi-セルハイでの実践報告

    長崎日本大学中学・高等学校教諭  室屋 精一郎

     

         [コメンテーター]                  日本大学名誉教授・客員教授     川島  彪秀

     

      [梗概]

     このシンポジウムでは日本大学付属中学・高等学校の英語教員が発題者となり、付属高校での英語教育の現状と実践を話題の中心に据え、身近な事象から日本の英語教育全般に通じる話題の提供ができないものかと考えています。
     日本大学では毎年4月に全付属高校生を対象に標準学力テストを実施していますが、その過去6年間のデータに基づき現状の分析を試みました。
     「OC」が導入されて以来、「聴き・話す」能力の向上に力が注がれるようになった分、「文法」教育に注ぐ時間が減少している印象は否めません。しかし、大学や企業が求めているのは、正しく「読み・書く」力の方であると考えられます。本来であればもっと重視されていいはずの「文法」指導にいま一度光を当てることが、国際社会に通用する英語力向上に繋がるのではないでしょうか。
     長崎日大高校は文部科学省から「スーパー英語教育推進校」(セルハイ)に指定されました。そこで実施された事例を付属高校での実践の一例として提示します。

     

     

    ★9月イギリス文学シンポジウム(平成20年9月27日)
      
        [司会] 野呂 有子 (文理学部教授)

        [テーマ] ゴドウィンとウルストンクラフト ―その代表作をめぐって―

        [発題者] 

        1. 原 公章  (文理学部教授)
          William Godwin, Political Justiceをめぐって

        2. 佐藤 明子 (法学部准教授)

                     Mary Wollstonecraft, The Vindication of the Rights of Womanをめぐって

     

        3. 都留 信夫 (明治学院大学名誉教授)
          William Godwin, Caleb Williamsをめぐって

     

      [梗概]

     ゴドウィンは、シェリーを始めとする19世紀初期のロマン派詩人などに、大きな影響を与えた作家です。しかしながらその代表作『政治的主義』(1793)は、現在、あまり読まれていないようです。またその妻、メアリ・ウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』(1792)はイギリス最初のフェミニズムの宣言書として、高い評価を得ており、その後の多くの作家に影響を及ぼしましたが、これもその原文はあまり読まれていないのではと思います。ゴドウィンにはまた、『ケイレブ・ウィリアムズ』(1794)という小説があり、これは上記二作で述べられた思想の具体化だと考えられていますが、ゴシック小説のマイナーな作品という評価しか与えられていないようです。そこで、今回のシンポジウムでは、これらの著作に目を通し、その内容を確認すると同時に、ロマン主義、無政府主義の源流、現代の女性運動の源流としての、二人の価値を再確認したいと思います。なお、司会担当の野呂先生は、メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』などにも言及される予定です。

     

    ★ 特別講演会・6月例会(平成20年6月21日)
      

    ・特別講演会

        [司会] 深沢 俊雄 (聖徳大学人文学部教授)

        [講演者] 杉山 隆彦 (成城大学名誉教授・日本英語表現学会副会長)

        [演題] 「あいまいな表現」のもつ想像力喚起のおもしろさ
                 -言葉の多義性について-

     

    ・6月例会 研究発表

      [司会] 飯田 啓治朗 (文理学部専任講師)
      
      [発表者]

       1.  野村 宗央 (博士後期課程1年)
    Areopagitica
    , “the Tree of Knowledge of Good and Evil”& Paradise Lost

        2.  藤木 智子 (博士後期課程3年)
          『リア王』における月

     

      [梗概]

    1.Areopagitica, “the Tree of Knowledge of Good and Evil”& Paradise Lost

    野村 宗央 (博士後期課程1年) 

     本発表では、17世紀英国の詩人John Miltonの政治論文Areopagiticaを基に、叙事詩Paradise Lostにおける “the Tree of Knowledge of Good and Evil”(以下「善悪を知る木」)の解釈と、Adam、EveそしてSatanの特性について論じる。

     Areopagiticaは、長老派主導議会による言論統制の動きに対し、言論・出版の自由を訴えることを目的として上梓された。本論文において、Miltonは悪書と善書について見解を述べている。また、それら書物を「善悪を知る木」の果実に譬え、次のように述べている。

     

    It was from out the rind of one apple tasted, that the knowledge of good and evil, as two twins cleaving together, leaped forth into the world. And perhaps this is that doom which Adam fell into of knowing good and evil; that is to say, of knowing good by evil. As therefore the state of man now is; what wisdom can there be to choose, what continence to forbear, without the knowledge of evil?

     

    一方、Paradise Lostにおいて、SatanはEveを誘惑する際に次のように述べる。 “knowledge of good and evil; / Of good, how just? Of evil, if what is evil / Be real, why not known, since easier shunned?” (Book IX, 697-9) これら二つの引用には、「悪を通して善を知る」という共通性が見られるため、Miltonの主張をSatanが代弁しているかのような印象を受けるが、両作品それぞれのコンテクストを考慮すれば、その違いは明白になる。

    以上の様に、コンテクストの違いに目を向け、両作品を比較考察することによって、「善悪を知る木」を巡るAdam、EveそしてSatanの特性を整理し、Miltonの思想をより鮮明にしたいと考えている。

     

    2.『リア王』における月                                           

       藤木 智子 (博士後期課程3年)

    本発表はシェイクスピア作『リア王』の2つのテクストの比較し、相違点及び共通点を考察する。そのテクストとは1608年出版の第一四つ折り本と、1623年出版の第一二つ折本である。この二つのテクストの相違点を確認し、検閲官が削除・改訂の命令を行った点について検証を行う。次に共通点を確認する。両テクストに共通する台詞とは、厳密な検閲を受けながらも削除を免れたことになる。当局は、安全な台詞である判断し、削除するに値しないと判断した結果である。作家は厳密な検閲の抑圧に対して、従順に従っていたか、また言論の自由を保持する為に、どのような創作術を用いていたのか、という点について、本作品の「月」に焦点をあてて論じる予定である。

     

     

    ★ 5月例会 研究発表(平成20年5月17日)
      
      [司会] 塚本 聡 (文理学部准教授)
      
      [発表者]

        1. 高橋 睦子 (博士後期課程1年)
            内なる暗闇:『嵐ヶ丘』における孤独と自己意識 
             ―媒介的象徴としてのヒースクリフの役割―

         2. 田中 竹史 (博士後期課程3年)
            On Dative Alternation:in Defense of a Derivational Approach

     

      [梗概]

    1.内なる暗闇:『嵐ヶ丘』における孤独と自己意識 
       ―媒介的象徴としてのヒースクリフの役割―

    高橋 睦子 (博士後期課程1年)

    Heathcliff は、Wuthering Heights において最も謎めいた人物である。本発表の目的は、Emily Brontё をHeathcliff の創作に駆り立てた理由とは一体何なのか、Heathcliff を通して著者は何を追求し、何を訴えようとしたのかを明らかにすることである。
     この研究において、主に精神分析的なアプローチを試みたが、まずその領域内における可能な論点として社会・経済問題が取り上げられなくてはならない。Emilyが我々に知らせている社会・経済・文化的な現実は、個人の苦労を超える。だが一方で、個人がこれらの社会・経済・文化的特殊を背景に性格形成をする上で、この物語における精神的な面は物語の非常に重要な部分である。この分析は、家父長主義的な社会の標準に反して、行われるEmily の登場人物の闘いを、アイデンティティをつくるその時間に生きている人間の努力の集約として見るものである。

     

    1. On Dative Alternation: in Defense of a Derivational Approach

     田中 竹史 (博士後期課程3年)

    二重目的語構文(1a)と与格構文(1b)の間には一定の関係があるという事は良く知られており、それ故、これら両構文の関係(与格交替)をどの様に扱うかという事はこれまで議論の的となって来た。

     

    (1)   a.     John gave Mary a book.       (DOC)

    1. John gave a book to Mary.    (DC)

     

     近年の極小主義の下では、両構文を統語的操作によって派生的に関連付ける派生的立場、所謂変形仮説(Aoun & Li 1989, Baker 1997, Emonds 1976, Larson 1988, Takano 1998等)ではなく、両構文間に統語的操作の介在を認めず、それぞれの構文は別個の基底構造を持つと主張する非派生的立場、所謂語彙仮説(Beck & Johnson 2004, 藤田・松本2005, Harley 2002, Jackendoff 1990, Miyagawa & Tsujioka 2004, Richards 2001等)が支配的である。

     与格動詞を含む成句の非対称的分布(2)は語彙仮説を主張する有力な統語的証拠とされるが、本発表は、Levin & Rappaport Hovav (2005)、Rappaport Hovav & Levin (2006)等の議論を基にこの証拠に対して再検討を行い、実際の分布はむしろ両構文が共に基底においてV-THEMEという構成素を成す事を示唆すると指摘する。

     

    (2)   a.     Lasorda sent his starting pitcher to the showers.

    1. *Lasorda sent the showers his starting pitcher.
    2. Susan gave Bill a piece of her mind.
    3. ??Susan gave a piece of her mind to Bill.                                             (Harley 2002: 36-42)

     

     更に逆行束縛や数量詞の作用域に関する現象も(3)に示す様に、両構文が共にVP内においてGOAL>THEMEという基底の項配列を持つとの仮定により自然な説明を与える事が可能となり、従って、両構文間の共通性を強く認める派生的立場、つまり変形仮説による説明がより望ましいと主張する。

     

    (3)   a.     DOC       …[VP [DP1 GOAL] [V’ V [DP2 THEME]]]

    1. DC         …[VP [PP GOAL] [V’ V [DP THEME]]]

     

     二次述語、動詞由来複合語、名詞化等の言語現象も派生的立場への更なる経験的証拠となるであろう事にも触れる。

    ヴィクトリア朝文学において、女性はほとんどの場合、家庭の装飾、天使としての義務を課せられ、多くの批評家がこの点からGeorge Eliot作品のヒロインを論じてきた。しかし、産業革命により社会の流動期にあった当時のイギリスでは、もはや家庭を一つの大きな空間として理解することは出来ない。家庭の中にはparlour(居間)を中心として, その他kitchen, dining room、private room、など複数の部屋が存在し、それぞれが異なる社会的役割を持っていた。そして、女性はそれぞれの部屋において必ずしも中心にいるというわけではなく、特にparlourのような社会的空間では男性を含めた様々な人間模様が描き出される。本発表ではGeorge Eliot初期作品The Mill on the Flossを中心として、Adam Bede, Silas Marnerを加えた三作品における家庭の表象を考察したい。特にThe Mill on the FlossはGeorge Eliotの自伝的要素が色濃く出た作品であり、その中に家庭が中心に描かれた章が多く見られることは興味深い。主人公Maggie Tulliverは家庭という空間の中でヴィクトリア朝社会特有の様々な社会的事象を経験する。特にparlour, attic, そしてsickroomはMaggieの苦悩、葛藤、和解という経験において欠かすことの出来ないものとなっており、George Eliotの家庭に込められた意図を探る上でも重要な手掛かりとなるであろう。

     

    ★ 4月例会 研究発表(平成20年4月19日)
      
      [司会] 原 公章 (文理学部教授)
      
      [発表者]

        1. 堀 紳介 (博士後期課程2年)                                                             George Eliot’s Portraiture of Domestic Space                                           初期作品The Mill on the Floss を中心として

        2. S. J. Harding (文理学部准教授)
            Family Resemblance Categories

     

      [梗概]

    1.George Eliot’s Portraiture of Domestic Space
         初期作品The Mill on the Flossを中心として

    堀 紳介(博士後期課程2年)
     

    ヴィクトリア朝文学において、女性はほとんどの場合、家庭の装飾、天使としての義務を課せられ、多くの批評家がこの点からGeorge Eliot作品のヒロインを論じてきた。しかし、産業革命により社会の流動期にあった当時のイギリスでは、もはや家庭を一つの大きな空間として理解することは出来ない。家庭の中にはparlour(居間)を中心として, その他kitchen, dining room、private room、など複数の部屋が存在し、それぞれが異なる社会的役割を持っていた。そして、女性はそれぞれの部屋において必ずしも中心にいるというわけではなく、特にparlourのような社会的空間では男性を含めた様々な人間模様が描き出される。本発表ではGeorge Eliot初期作品The Mill on the Flossを中心として、Adam Bede, Silas Marnerを加えた三作品における家庭の表象を考察したい。特にThe Mill on the FlossはGeorge Eliotの自伝的要素が色濃く出た作品であり、その中に家庭が中心に描かれた章が多く見られることは興味深い。主人公Maggie Tulliverは家庭という空間の中でヴィクトリア朝社会特有の様々な社会的事象を経験する。特にparlour, attic, そしてsickroomはMaggieの苦悩、葛藤、和解という経験において欠かすことの出来ないものとなっており、George Eliotの家庭に込められた意図を探る上でも重要な手掛かりとなるであろう。

     

    2.Family Resemblance Categories

    Stephen Harding(文理学部准教授)

                                                                                                                           In this presentation I will be considering the celebrated passage in Wittgenstein’s Philosophical Investigations where he analyses the concept “game” and reaches the conclusion that is not amenable to rigid definition since it lacks any core invariant feature. Despite the fact that “game” has been taken widely as the primary exemplar of family resemblance categories, I will argue that it is not in fact a family resemblance concept at all. To make this argument I will look briefly at game and play metaphors in philosophy and semiotics and then turn to “language games” and family resemblance in the Investigations. The next step will be to examine definitions of “game” that have been offered by the French Sociologist Roger Caillois (1958) and the Polish linguist Anna Wierzbicka (1996). The perhaps startling conclusion to this analysis will be that a great deal of post-Witgensteinian theorizing has been based on an absurd misunderstanding.

    Time permitting, I will end my presentation with an attempt to specify what really counts as a family resemblance category, what does not (meaning cases where a rigid definition can be given), and what cases fall somewhere in between. A Wittgensteinian methodology can, I believe, be developed for semantics. But partly due to the confusions outlined in this presentation a systematic schema of categorizations has never been properly worked out.

     

    2008年度月例会

  • 2007年度月例会

    ★ 1月例会 研究発表 (平成20年1月12日)

    [司会] 野呂 有子 (文理学部教授)

    [発表者]

    1. 秋葉 倫史 (博士後期課程1年)
    古英語の‘have+目的語+過去分詞’と完了形の発達要因について
    ~四福音書を資料として~

    2. 上滝 圭介 (博士後期課程1年)
    『夏の夜の夢』試論2 ―tricksterのlibidoについて―

     

    [梗概]

    1.古英語の‘have+目的語+過去分詞’と完了形の発達要因について
    ~四福音書を資料として~

    秋葉 倫史(博士後期課程1年)

    現代英語(PE)の完了形は古英語(OE)の‘have+目的語+過去分詞’の構造から発達したと考えられている。OEのこの構造において‘have’は本動詞で所有の意味を表し、過去分詞は目的語を修飾する形容詞である。対してPEの完了形は‘have’が助動詞として機能し、過去分詞が本動詞として扱われている。本発表ではこの‘have+目的語+過去分詞’と完了形の関わりについて通時的に見ていく。
    資料として聖書の四福音書を用いる。OEの四福音書から‘have+目的語+過去分詞’構造の例を抜粋し検証する。はじめに、OEのこの構造について実際のデータから見られる特徴を述べる。その後、完了形の発達要因について考えていく。主に‘have+目的語+過去分詞’構造が持つ完了とその他の使役、受身等の意味の相違について焦点を当て検証することにより、どのようなコンテクストから完了形が発達したのかを考察する。

     

    2.『夏の夜の夢』試論2 ―tricksterのlibidoについて―

    上滝 圭介(博士後期課程1年)
    妖精パックが中心に据えられた『夏の夜の夢』本編は「生への欲動(=エロス)」を強く感じさせる喜劇であるのに対し、機屋ボトムがパロディ化する劇中劇「ピラマスとシスビ」は、もとは恋人同士が誤って自決してしまうという「死への欲動(=タナトス)」の色濃い恋愛悲劇です。後期のフロイトがlibidoを上記の二種類のように分類したのは、libido一元論の立場で「原型」の概念を導入したユングと袂を分ってからでしたが、両者に共通して「神話」に生の類型を求める点はそっくりですし、たとえばフロイトがプラトンや「涅槃原則」を持ち出し、かたやユングは「マンダラ」や「虹色の全体性」などと言う点も類似します。劇本編は森のシーケンスの混乱と収束、そして劇中劇の混乱を挟みながらも大団円で終幕となりますが、その間の2人のtrickster的人物、パックとボトムの動向をフロイトとユングの用語とともにみていく、というのが本発表の骨子です。

     

    ★ 11月例会 研究発表 (平成19年11月24日)

    [司会] 寺崎 隆行 (通信制大学院教授・経済学部教授)

    [発表者]

    1.亦部 美希 (博士後期課程3年)
    The Unarmed Prophet―Henry Ⅵに見るMachiavelli思想

    2.水口 俊介 (日本大学中学校・高等学校教諭)
    認知言語学からみた学校英文法 ―動詞の用法を中心として―

     

    [梗概]

    1.The Unarmed Prophet―Henry Ⅵに見るMachiavelli思想

    亦部 美希(博士後期課程3年)

    マキアヴェリ著『君主論』は、イギリス・ルネッサンス時代に影響を与えたと考えられている。同時代の作品、シェークスピアの『ヘンリー六世』に、『君主論』との共通点を伺い知ることができる。ヘンリーは正義を重んずる軍備なき国王であり、劇中でキリスト教的預言者‘prophet’と呼ばれる。しかし、彼が「愛され、かつ、恐れられる」という政治的能力が欠如していることを、臣民クリフォードは語る。『君主論』第17章には、君主の政治的資質について、“My view is that it is desirable to be both loved and feared”、第6章には、“all armed prophets succeed whereas unarmed ones fail. ”とある。両章に、臣民に恐れられていない、軍備なき「預言者」Henryの破滅の理論が現出している。上記共通点について、両作品の関連性を分析する。

     

     

    2.認知言語学からみた学校英文法 ―動詞の用法を中心として―

    水口 俊介(日本大学中学校・高等学校教諭)

    学校英文法では、動詞の現在時制、動詞の現在形の意味・用法を次のように扱っている。
    (1)Betty seems to be sad.(現在の状態)
    (2)His son goes to a famous school. (現在の習慣)
    (3)Snow falls in winter. (一般的真理)
    (4)I name this ship the Queen Elizabeth.(現在の行為――遂行動詞)
    (5)Our train arrives at ten. (未来に起こる事柄)
    (6)When spring comes, the cherry trees will blossom. (時・条件を表わす副詞節中)
    (7)LIONS WIN VICTORY!(新聞の見出し)
    (8)The center fielder catches the ball. He throws it to the home plate. (実況中継など)
    (9) The battle began. The soldiers in front advance and throw grenades into the trenches of their enemy. Immediately after them heavy tanks attack with their main guns.(歴史的現在)
    (フロンティア英文法 研究社)

    一見すると、多様な意味が存在するようにも見られるが、本発表では、それぞれの意味を横断するかたちで、英語話者に共通した認知的基盤・動機付けが存在することを確認し、認知言語学の観点から動詞の単純・現在形(現在時制)を中心に考察を試みたい。基本的には、Langacker(1987、1991など)のDynamic Usage Based Model, Bybee(2007など)のFrequency Model,池上(2003,2004,2006など)の主観性、水口(1993,1995など)の認知の程度(特殊化の程度)を基調に論を進め、subjectification, type-frequency, token-frequency, figure-ground, degree of specialization等の認知言語学的道具立てを縦横無尽に駆使して、英語動詞の単純・現在形(現在時制)の認知的メカニズムを紐解き、その動機付けを論じることになる。構造は単純に見える動詞の現在形(現在時制)を用いた構文には、複雑かつナイーブな認知基盤が存在していることを見ていくことになる。しかし、理論による理論の議論というよりはむしろ、実例に即しながら、学校英文法への寄与を念頭において具体的かつ実用的な話を心がけたい。

    ★ 10月英語学シンポジウム (平成19年10月20日)

    [司会]  塚本 聡 (文理学部准教授)

    [シンポジウム]  『語をとらえる』

    [梗概]

    司会 文理学部准教授 塚本 聡

    はじめに

    中学、高校を通して英語を学習する際には、名詞、冠詞や動詞など品詞についての言及があり、また、辞典にも当然のごとく品詞区分が記載されている。例えば、ウィズダム英和辞典(第2版)によれば、以下の10品詞が提示されている。

    名詞 形容詞 動詞 副詞 前置詞 接続詞 助動詞 間投詞 代名詞 冠詞   (vii)

    ともすれば、品詞の決定は辞典に記載されていることから、自明のものであるかのごとく扱われる傾向が強い。しかしながら、そもそも品詞とは何かという根本的な事柄について議論される機会が少ないのが現状である。

    本シンポジウムでは、現行の8品詞論を出発点に、伝統文法、認知言語学、音声学の3つの異なる観点から、品詞区分の持つ妥当性、問題点について議論を行う。通常、自明のごとく使われる品詞区分の持つ意味について再考することをねらいとする。

     

    [発表者]

    1.「統語的働きに基づく語の分類」

    聖徳大学准教授 山岡 洋

    この発表では,これまでの伝統的な品詞分類に疑問を投げかけ,特に,語順・主要部・補部・付加部・主部・述部など統語レベルの基準による英語の品詞分類を提案する。最終的には,人間の言語知識の一部として,語の統語的働き(=品詞)がどのように捉えられているのかという疑問の解明を目的として,英語の品詞分類を再考し,主部になれるかどうかの素性[±subject]を基準として品詞の二分法を提案する。

     

    2.「名詞と形容詞の概念的特徴」

    文理学部講師 井上悦男

    WierzbickaのThe Semantics of Grammarの論考を踏まえ、他の文法カテゴリーとの意味的な対立を手がかりに、名詞という文法カテゴリーに固有の意味を探ることを目的とする。動詞や形容詞との間に常に意味的な対立が生じるとは言い難い。しかし、対立が潜在化した場合には、ある表現が名詞として実現されることに一定の価値があると考えられ、そういった現象の中にこそ、言語主体の認識のありようの差が反映されていると思われる。

     

    3.「音声実現形としての語の特徴」

    経済学部准教授 中村光宏

    伝統的音声学における内容語と機能語という区別を出発点とし、それぞれのグループに分類される語の音形を、調音器官の制御とプロソディの観点から特徴付けることを試みる。エレクトロマグネティック・アティキュログラフ(electromagnetic articulograph:EMA)を用いて観察・分析した予備的実験結果に基づき、内容語と機能語に対応する調音運動の時間的・空間的特徴を検討する。そして、先行研究で報告されている事実と照合しながら、話しことばの理解過程における音声特徴(プロソディに対応した調音動作の規則的変動)の機能について考察を進める。

     

    ★ 9月アメリカ文学シンポジウム  (平成19年9月29日)

    [シンポジウム] アメリカ文学を 「食べる」 視点から読む

    [司会]  深沢 俊雄 (聖徳大学教授)

    [発題者]

    1. Moby-Dick の“Stubb’s Supper”―鯨の捕食と被食をめぐる断想

    文理学部教授 高橋 利明

    人間はものを食べなければ生きてゆけない。生きるために人間は種を蒔き、家畜を飼い、漁猟を行うのである。このように直接的に自然に働きかける第一次産業こそが、食物連鎖の最上部にいる人間を根底から支えていることは、忘れがちな事実である。そして、食うか食われるか、つまり、生きるか死ぬかという生きとし生けるもの全ての生存競争原理の根源的な位相を端的に物語るものとして、Herman Melvilleの Moby-Dick(1851) 64章“Stubb’s Supper”は、注目に値する。

    西洋近代の捕鯨が求めたものは、主に家々のランプを灯す鯨油であったのであり、現代で言えば石油などの化石燃料に替わるものであったのだ。従って、Ahab船長率いるPequod号の二等航海士Stubbが、好んで鯨肉を食べたということは、異例中の異例であったのである。この作品内に描かれた「美食家」(“a high liver”)スタッブの「食べる」ことをめぐる異例と鮫たちによる鯨肉の捕食について考察することによって、人間にとっての「食べる」ことの普遍的な意味、即ち、人間と自然(あるいは、神)との捕食と被食の関係性を探究したい。

    2.「食」と効果―The AmericanThe Great Gatsby

    通信制大学院教授・経済学部教授 寺崎 隆行

    「食」には常に両極のイメジが付きまとう。「食うか、食われるか」からくる「弱肉強食」「貧富」の世界のイメジと、「食卓を囲む」「食事を共にする」からくる人間関係の円滑さ・和やかさ・団欒のイメジである。

    たとえばR. ChaseはHenry JamesのThe AmericanとS. Fitzgerald のThe Great Gatsbyの共通点と相違点を次のように述べる。

    『アメリカ人』のC.ニューマンはギャッツビーに比べると穏やかで強情なところが少なく、ギャッツビーほど自分の運命を重視していない。 ・・・ニューマンは読者に訴えるものを持ってはいるが、一個の風変わりなでくのぼうみたいな人間にすぎないが、これに反してギャッツビーは悲劇的な無謀さと、人の記憶に永く止まる鮮やかな宿命観を持っている。

    この発表では、両作品に描写される「食」を分析することによって、それら描写がいかに作品効果を与えているかを考えてみたい。

     

    3.The Grapes of Wrath に見る「食べる」ことの意義

    聖徳大学教授 深沢 俊雄

     

    4.Beloved ―「食べる」、「食べさせる」という関係からの考察

    文理学部講師 茂木 健幸

    「何らかの方法によって食物を獲得し、それを自らが食す、さらに他者に分け与える。」という食のつながりは人間にとって自然な営みといえる。アフリカンアメリカ人の奴隷経験とそこから続く世界を扱ったBelovedにおいて、この食を与える、与えられるという関係を考察する。

    豚を盗んだことを問い質すSchoolteacherに対して、Sixoは「自分が豚を食べることで主人ために働くことが出来き、主人に新たな食が与えられる」という論理から盗みではないことを主張する。この言葉の中では、奴隷である自分も主人である白人を含む食の連鎖に組み込まれている。しかし、支配階級である白人のSchoolteacherは労働力である黒人が自分たちの食の連鎖に入ることを認められない。黒人たちは、食を巡る関係においても周辺へと追いやられているのであり、常に食を与えられる側に位置させられる。自らが食を得る、さらにそれを与えるという主体となることが否定されている。

    主人公である元奴隷Setheがそのような状態から回復するには、同じ境遇を知る黒人コミュニティの助けによる。飽くこと無くSetheの過去の物語と食事を求めるBelovedによって疲弊させられたSetheに食を与えるのであるが、その行為によってSetheは食のつながりの中に位置を得るのである。

     

    ★ 6月例会 研究発表 (平成19年6月23日)

    [司会]  関谷 武史 (文理学部講師)

    [発表者]

    1.小山 誠子 (文理学部講師)
    Venus and Adonis 再考

    2.吉良 文孝 (文理学部教授)
    Used to Would をめぐる問題

     

    ★ 5月例会 研究発表会 (平成19年5月12日)

    [司会]  福島 昇 (生産工学部教授)

    [発表者]

    1.角田 裕子 (博士後期課程1年)
    Oliver TwistにおけるNancyの役割

    2.田中 竹史 (博士後期課程3年)
    A lexical semantic argument
    for “transform” approach to dative alternation

     

    ★ 4月例会 研究発表会 (平成19年4月21日)

    [司会] 保坂 道雄 (文理学部教授)

    [発表者]

    1.堀  紳介 (博士後期課程1年)
    Dinah MorrisとHetty Sorrel:
    二人の性の力とAdam Bedeにおける社会的権力

    2.佐藤  勝 (理工学部准教授)
    主語機能の補文の差異について―通時的研究―

    2007年度月例会

  • 2006年度月例会

    ★ 4月例会 研究発表会 (平成18年4月22日)

     [司会] 原 公章 (文理学部教授)

     [発表者]

     1.藤木 智子 (博士後期課程1年)
       作品Hamlet における母と息子の関係の変遷 ~和解から葛藤へ

     2.山本由布子 (博士後期課程3年)
       エミリ・ブロンテの詩-絶望の先に見えるもの-

     

    ★ 5月例会 研究発表会 (平成18年5月13日)

     [司会] 當麻 一太郎 (文理学部教授)

     [発表者]

     1.田中 竹史 (博士後期課程3年)
       二重目的語構文/与格構文-変形仮説と語彙仮説-

     2.野呂 有子 (文理学部教授)
       専門的学問領域における大学生の英語運用能力育成のための
       システム構築と方法論の研究(数学・初歩)

     

    ★ 6月例会 研究発表会 (平成18年6月17日)

     [司会] 福島 昇 (生産工学部教授)

     [発表者]

     1.松山 博樹 (経済学部講師)
       UlyssesにおけるHamletを軸にした自己投影の重層性

     2.関谷 武史 (文理学部講師)
       欲望の悲劇Hamlet-J. LacanのAntigone論に照らして-

     

    ★ 9月イギリス文学シンポジウム (平成18年9月30日)

     [司会] 藤井 繁 (聖徳大学教授)

     [発表者]

     1.天野 暁子 (聖徳大学講師)
       Tess of the d’Urbervilles ーTessと死の受容

     2.杉本 宏昭 (文理学部講師)
       すりぬけてゆく女性たち視覚的コンセプトと小説

     3.山下 登子 (聖徳大学講師)
       Oakを理解した女性Bathshebaの意義

     

    ★ 10月英語教育シンポジウム (平成18年10月21日)

     ・ パネルディスカッション

     [司会]   山下 次郎 (東京都立国分寺高等学校 教諭)

      [パネリスト]

     1.山下 次郎 (東京都立国分寺高等学校 教諭)

     2.水口 俊介 (日本大学高等学校・中学校 教諭)

     3.石川 直子 (日本大学櫻丘高等学校 教諭)

     4.望月  宝  (日本橋女学館中・高等学校 教諭) 

     
     ・ 研究発表

     [発表者] 山下 次郎 (東京都立国分寺高等学校 教諭)
         A Study of Face Validity in a High School English Grammar Test:
            Inter-personal Authenticity and Affective Responses Made
        by Test-Takers

     

    ★ 11月例会 研究発表会 (平成18年11月25日)

      [司 会] 寺崎 隆行 (通信制大学院教授・経済学部教授)

     [発表者]

     1.松山    献 (大学院総合社会情報研究科 博士後期課程1年)
        E. M. Forsterの小説における「象徴的瞬間」について

      2.松山 幹秀 (文理学部教授)
        英詩の言語学的分析を通して見えるもの―ある品詞論

     

    ★ 1月例会 研究発表会 <平成19年1月13日(土) 13:30~>

     ・ 研究発表

     [司会] 会田 瑞枝 (文理学部講師)

     [発表者] 

     1.新井 英夫 (博士後期課程3年)
          アン・ブロンテの二つの小説における「真実」の語り
       ―『アグネス・グレイ』・『ワイルドフェル・ホールの住人』試論―

     2.堤 裕美子 (文理学部講師)
       Twelfth Nightにおける愛と再生のテーマ

     
     ・ 特別講演

     [司会] 原 公章 (文理学部教授)

     [講演者] 荻野 昌利 (南山大学名誉教授)
             教養か、文化か?-イギリス教養主義の系譜

    2006年度月例会

  • 2005年度月例会

    ★ 9月英語学シンポジウム (平成17年9月24日)

    [演 題] 他動詞とその目的語

    [司 会] 山岡 洋 (聖徳大学助教授)

    [発題者]

    1.松久保 暁子 (聖徳大学講師)
    他動詞と共起する目的語の省略・非具現化について

    2.水本 孝二 (文理学部講師)
    動詞と目的語の遠近による意味の相違について

    3.山岡 洋 (聖徳大学助教授)
    受動化制約:受動態の主語になれない目的語

     

    ★ 10月英語教育シンポジウム (平成17年10月22日)

    [司 会] 野呂 有子 (文理学部教授)

    [発題者]

    1.宿谷 睦夫 (千葉日本大学第一高等学校教諭)
    教育における英語俳句・短歌

    2.池田 紅玉 (文理学部・青山学院大学講師)
    英語そろばん、英訳された俳句・日本の詩の朗読指導法

    3.野呂 有子 (文理学部教授)
    発信型英語教育の一環としての Public Speaking

    発表要旨

     

    ★ 11月例会 研究発表会 (平成17年11月19日)

    [司 会] 寺崎 隆行 (通信制大学院教授・経済学部教授)

    [発表者]

    1.井手 美弥子 (大学院総合社会情報研究科研究生)
    William Faulkner: Absalom, Absalom!
    その血を受け継ぐ者の「宿命」と「存在」についての考察

    -一枚の写真が意味するもの-

    2.青木 啓子 (博士後期課程1年)
    On the Passive Gradience in English

     

    ★ 学術研究発表会 (平成17年12月3日)

    (文学の部)

    [司 会] 関谷 武史(文理学部講師)

    [発表者]

    1.前島 洋平(文理学部助手)
    Christmas Holiday(1939) を読む-作品の受容とモームの戦略-

    2.飯田 啓治朗(文理学部専任講師)
    Othelloの一考察

    (語学の部)

    [司 会] 松山 幹秀(文理学部教授)

    [発表者]

    1.保坂 道雄(文理学部教授)
    英語の非対格性について-通時的考察-

    平成17年度年次大会プログラム

    ★ 1月例会 研究発表会 (平成18年1月21日)

    [司 会] 飯田 啓治朗 (文理学部専任講師)

    [発表者]

    1.根本 浩 (博士後期課程2年)
    英語句動詞の意味論:take care of についての一考察

    2.板倉 亨 (博士後期課程2年)
    Hamlet とその解釈

    2005年度月例会