卒業生の声
中国語中国文化学科のOBからのメッセージをご紹介致します。
卒業後に物流会社に勤めたのですが、職場環境が悪く将来の展望が望めなかったため、転職活動もしてみました。でも、もう一度勉強したいという思いが強く、2014年12月に台湾の大学院を受験することを決意し、準備期間は短かったのですが、思いがけず合格することができました。
私と同じように卒業後に、あらためて勉強したい、海外の大学院に留学したいと考えている人の参考になるかもしれないので、受験を決めてから合格通知が届くまでの体験をお話ししたいと思います。
【合格体験記】
12月~1月
中国語の勉強は入社後も続けていていましたが、受験を決意してから真剣にインターネットなどで台湾の大学院受験に関する情報収集を始めました。
大学時代に台湾原住民族について授業で学んだことがあり、大学4年の夏休みには台湾に短期留学した際に実際に彼らと知り合う機会もあって、台湾原住民族について学べる大学院を調べてみました。そして、今回私が入学することに決めた国立台湾師範大学台湾史研究所も含め、4校を受験先に決めました。
私が受験した台湾の大学院4校はすべて書類審査で(うち1校のみ書類審査に加えてスカイプによる面接もあり)、エッセーや研究計画書などの書類はどこでも必須でした。大学院で台湾原住民について学びたいと考えたものの具体的な研究計画はなかったので、インターネットを用い、国会図書館に通いながら研究資料を収集しました。ようやく2015年1月末頃にエッセーの添削を終え、研究テーマの方向も決まりました。
必要書類には英文卒業書、英文成績書、銀行の残高証明書もあり、私の場合は4校受験したので4校分を準備しました。
2月
2月に入って、研究計画書を書き始めました。ところが、どう書いたらよいのかわからず困ってしまい、日本で大学院に通う知人に彼らの研究計画書を見せてもらって、参考にしました。また、卒業後に会社勤めしながら通っていた中国語の語学学校で、台湾人の先生に中国語での研究計画書やエッセーの書き方を教えていただきました。こうして、2月末になんとか研究計画書が完成しました。中国語のエッセーや研究計画書は、語学学校の台湾人の先生のご助力やアドバイスがなかったら書き終えられなかったと思います。準備も整い、2月末には受験する大学院をこの目で見ておこうと、実際に台湾に見学にも行きました。
3月
国立大学の受験申込締め切りは3月中旬のところが多いので、3月に入ってすぐに各校にEMSで書類を送付しました。
4月
書類審査の結果、まず1校から合格通知が届きました。
5月
申し込みをしたうちの1校からはスカイプで面接をするとの連絡があり、5月に面接を実施しました。6人ほどの先生と対話したのですが、緊張もあって、全然うまく回答できませんでした。しかし、結果としては、このスカイプ面談を実施した大学院も含めて、5月中旬に2校、6月に1校から合格通知をいただきました。
その他の準備
大学院にもよりますが、私が調べた範囲では、外国人の場合には筆記試験がなく、書類審査(大学時代の成績、研究計画書、エッセーなど)のみで合否が決まることが多いようです。ただ、面談がある場合に備えて、入社後も続けていた中国語の勉強の延長として、インターネットで台湾の中国語ドラマを見たり、台湾のニュースをチェックしたりはしていました。
受験費用は1校につき手数料込で日本円13000円程度。日本の銀行では台湾ドルは受け付けていないので、私の場合は三菱東京UFJのテレビ窓口から外国送金しました。その際、台湾で銀行手数料が引かれて受験費用額に足りなくなることが心配だったので、銀行手数料をこちらで負担することにしたうえで、念のため手数料分を含めて多めに送金しました。
私の中国語力は、大学卒業時にHSK4級、社会人になってからHSK5級を取得した程度です。大学院によっては、受験資格にHSKやTOEICの一定以上の点数を要求しているところもあります。普段から勉強しておくことの大切さを感じました。
私の場合、いまのところ中国語の会話も下手の横好きで、決して流暢に話せるわけではありません。台湾に留学してから苦労するだろうということは、今から覚悟しています。むしろ、これからが本当のスタートなので、頑張って無事に修了することをめざしたいと思っています。
参考にしたウェブサイト
大学検索サイト
実際に大学院に通っていた方のブログ
台湾師範大学日本人向けサイト
台湾師範大学受験申請サイト
中国映画の興味から「中国語を話せるようになりたい」と思い、この学科に入学しました。修学中は、学業とスポーツ(アメフト部)の両立を心がけました。本学科では、語学・歴史・文化等の様々な分野から中国を知ることでき、ここで得た知識や経験が現在の仕事に繋がっています。先生方は個性豊かで、親身に接していただいたことが印象に残っています。
私がこの学科を選んだ理由は、中国語がなんとなくおもしろそうな気がしたから。今思うと、この『なんとなく』が私の大学生活を充実させてくれたと思えます。
北京への短期留学の他、上海、杭州、成都、台湾、香港へ旅行しました。自分の話す中国語が通じるうれしさを感じ、現地でしか出会えない人や文化に出会い、貴重な数多くの体験をしました。みなさんは中国の公園で見知らぬ中国人のおじいさんと一緒に歌を歌ったことはありますか?(笑)中国の人ってとっても温かいんです。そんな楽しい経験ができたのも、この学科で中国語中国文化を学んでいたからこそだと思います。
これらの経験から旅行の素晴らしさを知り、現在の仕事に就くきっかけにもなりました。今、中国に対する目は厳しいですが、中国の良さを知っている私だからこそできる方法で中国をアピールしていきたいですね。
私は現在、中国・南京市で日本語教師として働いています。
南京大学へ個人留学した経験もあったので、この都市には深い愛着があります。今、こうして中国で働くことができるのも、留学時代に出会った中国の友人が、ここ南京で日本語教師をやらないかと誘ってくれたのがきっかけでした。
私は主に学生の会話やリスニングの授業を受け持っています。日本語教師をしてみて感じたことは、皆、日本に対して強い関心を持っている、ということでした。自分は日本人として日本語・日本文化を伝える窓口の役割を果たす思いで、日々教学に取り組んでいます。
日本語の普及を通じて、日本と中国の文化交流の架け橋として貢献したいというのが、今回中国に渡ってきた目的です。学生時代に学んだ中国語を生かして働けることに感謝をおぼえつつ、ここで築いた彼らとの交流を、いつまでも大切にしていきたいと思っています。
現在、上海の大学で日本語教師をしています。こちらに来て実感しているのは、当学科で得た知識が、本当に有意義なものだったことです。語学・文化・文学・歴史など、古代から現代まで、幅広くそして深く学ぶことができたおかげで、実生活でとても役に立っています。世界各国から人が集まり、活気に満ちあふれた上海で働けることをとても嬉しく思っています。
私は、大学時代を中文学科で過ごせたことをとても誇りに思っています。このコラムの執筆にあたり、久しぶりに講義のノートや資料に目を通し、4年間で中国に関するさまざまな問題に取り組んできたことを改めて実感しました。中文学科には進取性を持って学べる土壌があります。必ずや、皆さんの知的欲求を満たしてくれる出会いがあるはずです。就職活動においても、中文学科で学んだことを胸を張ってアピールすることができました。西洋的価値基準を主とする現代に生きるわれわれにとって、中国の空気に触れ学ぶことにはとても大きな意義があります。今の時代が抱える問題や自分自身のあり方について、今までとは違った視点で見つめなおすことができるでしょう。
私は中文学科を卒業後、成田空港でグランドホステスとして勤務しています。大学での専門分野と関係ない職業につく人も多いなかで、私は学んできたことを実践できる職につけたことをうれしく思っています。中文学科で中国の言語・文化を学んだことは、今後『一生の学』として私の人生において大きな意味を持ち続けると思います。
現在の中国はめざましい発展を続けています。中文学科は、同様に皆さん自身の発展が期待できる学科です。
「中国語を学びたい」、「客室乗務員になりたい」と言う2つの夢を抱いて、私は中文学科に入学しました。そして北京大学への語学研修を肇とし、台湾語なども進んで履修しました。このことで就職活動においても自信を持って自分をアピールすることができ、夢の実現へとつながりました。中国が注目されている今、是非皆さんも中文学科で多くの知識を得て、将来の目標を見つけてください。
私は現在、㈱上組(カミグミ)という倉庫・運輸会社の中国室というセクションに勤務しています。その名のとおり、主に中国への輸出入関係の仕事をしています。在学中の留学経験を生かし、日中双方が協力してひとつのものを創りあげるような仕事がしたいと希望していたので、今はそれが叶い充実した毎日を過ごしています。
仕事をしていく上で気づいた特筆すべきことは、日本大学の組織の大きさです。日大出身者の多さ!これは社会に出て一番驚いたことでした。本社のある神戸に配属になりましたが、そこでも諸先輩方がおられ学部・学科を問わず面倒を見ていただきました。客先にも多く、校舎の話やサークルの話で、思わぬうちにすっかり打ち解けた、といった事が何度となくありました。さらには北京・上海のタウン情報誌にも日本人会と並んで日大会の連絡先が記載されており、今から参加できる日を心待ちにしています。
国を越えてどこへ行っても必ず日大生がいる、これが私の今後の社会人生活に対する大きな自信と期待に繋がっています。
私は2000年に中国文学科(当時)を卒業後、冷凍食品メーカーに就職しました。現在は、中国山東省青島にて、日本料理店(子会社)の経営と、山東省内にある関係食品工場の管理を行っています。
95年の大学入学当時は、将来中国で何をしたいと具体的に考えていたわけではなく、とにかく今後発展する中国を見据え,中国語を学び、就職しやすいように、と考える程度でした。大学4年間の中国語・文学の学習以外に、96年に北京へ1ヶ月の短期語学留学をし、99年には一年間北京へ語学留学しました。留学中に知り合いになった日系ビジネスマンとの交流し、北京の日本企業の進出ぶりを肌で感じることができたのも、留学の成果だと思います。
卒業後は、就職した日本の業務用冷凍食品メーカーより2005年からより青島へ派遣されることになりました。現在は、中国人従業員と共に仕事をしながら、日本では体験できないような毎日を送っています。
中国で仕事をしていると、中国の持つ潜在力と国の大きさを感じずにはいられません。2008年の北京オリンピックまでに、中国がどう変わっていくのか、現地中国で見守りたいと思います。
「自己投資」―企業の終身雇用が崩れた今、私よりも少し若いみなさんにとってはごくごく当たり前の概念なのではないでしょうか。私が今仕事をしているここ香港・中国の若者もこの概念を非常に強く意識して人生設計を組立てます。
私が受験生だった頃、中国に関する学問は今ほど人気がありませんでした。中国自体の情報も少なく、立ち遅れたイメージから「なんでわざわざ中国に?」というのが一般的でした。そんな中国は、しかし、いまや製造・消費ともにグローバル企業の主戦場です。あの頃、私と同じく中国を自己投資の場として選んだ学生時代の仲間達は、現在、中国各地に散らばって、活躍しています。
日中関係も文化・経済において補完・協力・競合しながら共に成長する時代に入りました。人の注目が集まるところには、必ず人が集まります。「中国語中国文化学科」という選択は、今後さらに伸びる中国の仲間達、そして中国を目指す世界中の同世代の仲間達との、意味ある出会いを提供してくれる、自己鍛錬の場となるのではないでしょうか。
現在、食品会社で勤務しており、営業を担当しています。国内営業が中心ですが、原材料を中国から輸入し国内販売する仕事もあり、中国に出張する機会もあります。
学生時代は、92年に中央民族学院(今の中央民族大学)、93年に大連外語学院へ1ケ月間の短期語学留学をし、94年~96年には文部省の国費留学生として武漢大学に留学しました。当時は将来に対して具体的な目標があったわけではありませんが、とにかく中国に触れることが楽しかったのを覚えています。
今から考えると、日大中文で過ごした学生時代は、卒業後ではありえない非常に貴重な経験でした。先生方はもちろん、在学中に出会った人々には感謝せずにはいられません。多くのことを学ばせていただきました。今でも私の財産です。
2004年には国土交通省認可の中国語通訳ガイド(通訳案内士)の免許を取得しました。今後は、仕事以外でも中国に関わる分野を広げていけたらと思っています。
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例えば麻婆豆腐の「麻婆」って何?など語学や文学史はもちろん、それらのより深い理解の為に学んだちょっとした雑学等が仕事上のアイデアのヒントになることも度々です。また、少々のアクシデントにも動じない度胸は、かの地の悠久パワーに触れたお陰かな、と思ったり。流行の中国映画やオリンピック、またビジネスの舞台と注目を浴びる中国。その国への造詣を活かす機会は、今後ますます増えるだろうと、自分でも期待しています。
日大中国文学科に4年間通わせてもらったことで、両親に感謝せずにはいられません。恩師や友人など、あの4年間に出会った人々は、今でも私の財産であり、心の支えだからです。
卒業後は、先生の助言もあり、地元の役場に就職しました。戸籍や外国人登録窓口のほか、中文出身ということで、中国からの留学生や視察の受入れに同行するなどの仕事も、担当させてもらいました。現在は、市町村合併を経て、地球温暖化防止やISOなどを担当する環境の部署に配属となり、地球環境のことを日夜考えつつ、長野市と友好都市である河北省石家庄市に行く機会を狙っています。
中国で働き始めてもう十数年も経ちました。日本大学で触れた中国の雑誌や書籍、中国を幅広く理解するための授業など、私にとってはどれも初めての世界でわくわくしたのを覚えています。中国で働きたいという夢を持てたのも学生時代の環境によるもので、そのきっかけとなる日本大学で学ぶことができて私は好運だったと思います。
私は生来、怠け者でした。しかし、大学に入り、悠久の歴史、広大な国土を有する中国を目の前にすると、少しでも多く中国のことを知りたい、そんな欲求にかられました。気が付けば、今までとは別人のように、何事も自分から進んで調べるようになっていました。そして、「知る喜び」に取り付かれていました。それが高じて、今は大学に勤務しています。中国は、大きな山です。とにかく自分の足で歩いてみて下さい。そこには必ず、黄金の実の生る木があるはずです。
